これは実際に私が体験した話です。
父の初七日法要が終わり、親類の女性たちで集まり話をする機会がありました。父は退院日も決まっていた中、急変して旅立ったので、最期の様子やお葬式での出来事を話していた時……

心無い言葉

お通夜や葬儀ではなかなかゆっくり話す時間もなかったので、あの時はこうだったねなどと言いながら、母方の親類が集まって話をしていました。

そんな中、母の従兄弟嫁のA子が、

「ほやけど、はよ片付いてよかったわい」

と嬉しそうに言いだしました。
苦労させられたのだから、そんな人が早く亡くなって良かったと思うよと。

笑ってそうだねと言えればよかったのかもしれません。
ですが、あまりの言われように言葉を失う私。
集まっていた親戚もみな無言になり、しばし沈黙が流れました。

「あんな父親でも、私たちには優しかったし、実の父親やけん、死んだら悲しいよ。」

やっとのことで私が絞り出した言葉に自分の失言を悟ったのか、慌てて自身の父の話を始めるA子。
自身の父もどうしようもない父親で、母は苦労をしたという話を展開していましたが、それ以降しゃべらなくなった私の様子に重い空気が流れました。
雰囲気を悟った伯母が用事を忘れていたと席を立ち、間もなく解散。
A子もそそくさと帰っていきました。

確かに父は……

父は、パチンコが大好きで、お金をつぎ込んだ人でした。
母はとても苦労しましたし、そんな苦労を知らない親戚はいませんでした。
私たちも冗談で、

「大きな生命保険に入っておかないと」

なんて言っていたこともありました。
その発言を本気にしたのかもしれません。

でもさみしいものはさみしい

ですが、実際に父が亡くなると、虚無感は相当なもので、毎日ああすればよかった、こうしてあげたかったと母と話をしていました。
思い出しては涙が流れる日々を過ごしていたので、父の死をよかったと言った彼女の言葉をどうしても許すことができませんでした。

それ以降、親戚の行事で会っても自分から彼女と話すことはありません。
彼女を避けている私に何かを感じているのか、向こうから近寄ってくることもなくなりました。
もしかしたら元気づけようとしてくれての言葉だったのかもしれませんが、どうしても顔を見るとあの時の怒りを思い出してしまうので、距離を置いています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2024年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。