【FTNライター見聞録】女はつらいよ─本記事は当メディアに寄せられた女性読者やライター陣の声を元にした実録記です。女性のライフスタイルのリアルをお届けします。
筆者の話です。母の写真を探すためアルバムを何冊も見返していたとき、自分自身について思いがけないことに気づきました──。
画像: 遺影に使える写真を探していました

遺影に使える写真を探していました

母の写真探し

母を見送ることになり、遺影に使える写真を探していました。
アルバムを何冊も開くと、母の写真だけでなく、子供の頃の私の写真もたくさん出てきます。
父が撮ってくれたものや学校行事で撮影されたものなど、何気ない日常の中で笑っている姿も残っていました。
ところが、年代が進むにつれて、大人になってからの私の写真が驚くほど少ないことに気づいたのです。

写っていない

今はスマートフォンで、いつでも気軽に写真を撮れます。
私も出かけた先できれいな景色や、おいしそうな食べ物をよく写真に残してきました。
ところが、それらの写真に私はほとんど写っていません。
年齢を重ね、体形などの変化が気になり「今の自分はあまり写真に残したくない」と思うことも増えていました。
そのため、撮るのは景色や食べ物ばかり。自分自身を撮ろうとは、あまり思わなくなっていたのです。

残したかった

しかし、母の写真を探しながら「写真に残しておけばよかったのは、若い頃の自分だけではなかった」と気づきました。
きれいな景色を見に行った日、大好きな友人と過ごした日、楽しくてたくさん笑った日。
そこに自分も写っていたら、その日のことをもっと鮮明に思い出せたのではないでしょうか。
「この日は本当に楽しかったから、きっとすごくいい笑顔で写っていたんじゃないかな」
そう考えると、残したかったのは若さやきれいな姿ではありません。
そのときの私がどんな表情で、誰とどんな時間を過ごしていたのか。それがわかる写真を、もっと残しておけばよかったと思ったのです。

筆者の見解

子供の頃は、親をはじめ周囲の大人が写真を撮ってくれました。
しかし大人になると、自分から残そうとしなければ、自分自身の写真は意外と残りません。
今の自分を写真に残すのは、少し恥ずかしいと感じることもあります。
それでも何年か経って見返せば、その一枚も自分が生きてきた時間の一部になるはずです。

これからは「今日は楽しかった」と思える日には、景色だけでなく、その場所にいる自分も一緒に残していこうと思っています。
年齢を重ねて変化していく姿も、そのときにしか残せない自分の歴史です。
楽しい時間を過ごした日には、ときどきカメラを自分にも向けてみたいと思います。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

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