
「女の子だから」と背負わされた私だけの役割
子どもの頃、私は母から「女の子なんだから静かにしなさい」「女の子なんだから手伝いなさい」と何度も言われて育ちました。
料理や洗濯も当たり前のように手伝わされ、「お母さんがしんどいんだから、あんたがやらなあかん」「女の子は家のことができなあかん」と言われることもありました。
私にはやるべき役割が決まっていて、それをこなすのが当然だと思っていたのです。
弟だけ許されていた「男の子だから」の自由
その一方で、何もしなくても咎められることがなかったのが私の弟です。
家でゴロゴロしていても、母は「男の子は外で頑張るんだから、家ではゆっくりしとけばええ」「男の子に台所仕事なんかさせんでいい」と言っていました。
同じ家で育ちながら、求められるものはまったく違っていたのです。
私はお姉ちゃんだったので、当時はそれを疑うこともなく、「そういうものなんだ」と受け入れていましたが、大人になった今、それが性別による役割の押しつけだったのだと気づきました。
弟が珍しくなにかを手伝った際に母から思いっきり褒められている姿がうらやましいと思ったこともありました。
性別に関係なく生きる力を身につけさせたかった
知らないうちに「女らしさ」を背負わされ、それが当たり前だと思わされていた子ども時代。
けれど私は、自分の子どもたちには同じ思いをさせたくないと思っていました。
娘にも息子にも区別なく、生きていくために必要な最低限の家事を教えてきました。
料理も洗濯も掃除も、性別で決まるものではなく、自分で暮らしていくために必要な力だからです。そのおかげか、子どもたちが一人暮らしをするようになってからも、生活していくうえで大きく困ったことはなかったようです。
時代が変われば常識も変わる。だからこそ自分の過去を振り返りながら、子どもたちにはもっと自由で平等な価値観を手渡すことができたと思っています。
筆者の見解
大切なのは、過去を責めることではなく、その経験から何を学び、どう次の世代に生かしていくかですよね。
性別に縛られず、一人の人間として生きる力を身につけること。
その土台を家庭で育てていくことこそ、今の時代に必要な教育なのではないでしょうか。
【体験者:60代・女性パート、回答時期:2026年6月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


