
自主的な「見守り活動」
定年退職後、地域のゴミ拾いやボランティア活動に積極的に参加している祖父。
自宅の近くに学校があるため、朝、車の往来が激しい危険な交差点に立ち、子どもたちの見守り活動を自主的に行っていました。
ところがある日のこと。
パトロール中の警察官から、突然怪訝な顔で声をかけられたのです。
「この辺りで不審者情報が出ていまして。失礼ですが、あなたは何の目的でここに立っているのですか?」
「何の目的でここに?」警察官からのまさかの職務質問
交通安全のため児童の見守りをしている旨を伝えたものの、孫(私たち)もすでに大きく、その学校には通っていません。
保護者や学校関係者でもないのに毎日立っている姿が、警察の目には逆に「怪しい」と映ったようでした。
地元が好きで、事故が起きないようにと純粋な善意で立っていた祖父。それなのに、まさかの不審者扱いをされ、深く傷ついてしまったのです。
それ以来、祖父は見守り活動をお休みするようになりました。
傷心の祖父の前に現れた救世主
しばらく経ったある日のこと。
祖父は、いつものように学校周りのゴミ拾いをしていました。
すると、旗当番で立っていた先生が声をかけてくれたのです。
「おはようございます。いつも見守りありがとうございます」と。
子どもたちも先生も、祖父の顔をちゃんと覚えていました。
警戒と善意の狭間
物騒な世の中だからこそ、警察の警戒も理解はできます。しかし、地域を思う祖父の善意まで疑われてしまうのは、なんとも悲しいもの。
子どもを守るために警戒を強めるのは大前提ですが、その一方で、地域に根づく「無償の優しさ」をいかに孤立させないか。それも、私たちが考えていくべき大切な課題かもしれません。
先生や子どもたちの元気な声掛けに、祖父のこれまでの歩みが報われた気がしました。
筆者の見解
形には見えなくても、誰かが誰かを見守る温かい繋がりの大切さを、改めて教えられました。
【体験者:20代・女性会社員、回答時期:2026年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。

