今回は、親せきAに聞いた、葬儀で感じた価値観のズレの話です。
「黒い服なら大丈夫」と思っていたお嫁さんと、気になってしまったA。
その場をきっかけに『当たり前』について考えさせられたそうです。

募る違和感

納棺前の時間になり、着替えを終えた孫たちが部屋へ入ってきました。
その姿を見た瞬間、私は思わず言葉に詰まります。

確かに全員黒い服ではありました。
けれど、急いで用意したからか、孫たちの服装はライン入りのジャージだったり、ラメが入った生地だったり。
私たち世代の感覚では、お葬式の場には少し派手に映る服装でした。

近しい身内だからこそ、参列者の目にも入りやすい。
親族が集まる部屋の中で、孫たちの服装ばかりが気になってしまいました。

嫁の本音

「他に持ってきていないの? 制服でもいいのだけど……」
私がそう声をかけると、お嫁さんは困ったように視線を落としました。
「子どもを連れた葬儀が初めてで、黒なら大丈夫かと思ったんです」
その言葉を聞き、私は強く言い返せなくなりました。

お嫁さんは申し訳なさそうに、何度も孫たちの服へ目を向けていました。
知らなかったというより『経験がないから判断できなかった』だけなのかもしれない。
お嫁さんの言葉を聞いているうちに、近所に住むいとこが「うちの子の服を持って来てみるわ」と急いで服を届けてくれ、なんとか葬儀には間に合いました。

思い込み

その夜、お嫁さんは「すみませんでした」と頭を下げました。
「こちらこそ、前日にちゃんと確認していなくてごめんね」
そう返したあと、私は前日のやり取りを思い返していました。

葬儀のマナーや感覚は、経験しなければわからないこともある。
「このくらいわかるだろう」は、自分の物差しだったのかもしれません。

それ以来、大切な場面ほど「わかっているはず」で済ませず、丁寧に確認するようになりました。
思い込みではなく、きちんと言葉にすることの大切さを感じた出来事です。

【体験者:50代・女性主婦、回答時期:2026年5月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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