筆者の話です。1ヵ月前から入っていた保健指導の仕事の前日に長男の急な発熱──身近に頼れる人は居らず、病気の長男をみてくれそうな人は義母しか思いつきませんでした。義母が滞在中に困らない様、準備をして家を出た私ですが、帰宅後に待っていたのは想定外の言葉でした。

帰宅後に待っていたもの

仕事を終えて帰宅したのは夕方でした。

玄関のドアを開けると、義母が不機嫌そうにリビングに座っていました。

開口一番に告げられたのは、「お昼に出してくれたお魚ね、あれはね、鮭じゃないのよ。マスよ、マス! 私、マスは食べられないから食べなかったわ」という言葉でした。

一瞬、思考が止まりました。

スーパーの鮮魚コーナーで「生鮭」と表示されたパックを買い、焼いたものです。

生物学的な分類に厳しい義母のこだわりがあったのかもしれません。

「スーパーで生鮭と表示されていたものなんですが」と言いかけると、「見ればわかるわよ、マスよ」と確固たる口調で繰り返されました。

鮭ではなくマスが出されていた事が気に入らず、義母は昼食を何も口にしていなかったのです。

さらに、リビングの床に目を落とし「ここのお宅、掃除機をかけるだけなの? 私は週に一回必ず雑巾で水拭きをしているのよ」とも言われました。

仕事を終えてクタクタで帰宅したところに、良かれと思って用意した食事を拒絶され、家事の至らなさを指摘される。張り詰めていた糸が切れるような感覚でした。

でも、今日一日、病気の長男を見てくれた事は事実です。

「もう少しで義母は帰るから」と心の中で何度も繰り返し、私は作り笑いを続けました。

しかし帰り際、義母はバッグを肩に掛けながらさらりとこう言いました。

「今日の日給、1万円でお願いできる?」──私の作り笑いが一気に剥がれていきました。

「誰に頼るか」の選択

財布から1万円を取り出しながら、私は複雑な感情に包まれました。
渡した1万円札の感触と共に、自分の中で何かが静かに決まった瞬間でした。

鮭をマスだと言い張り、床掃除のダメ出しをし、日給を請求して帰っていった義母の背中を玄関から見送った瞬間、私の中で完全に終止符が打たれました。

この経験から学んだ事──助けを借りることは大切ですが、「誰に頼むか」の見極めは、それと同じくらい大切だということです。

親族だからと甘えて無理な依頼をするのではなく、最初から病児保育などのプロのサービスを頼んでいれば、1万円という対価を支払うことで、今回のような精神的な消耗は避けられたのかもしれません。

助けてもらったことへの感謝は忘れずに、でも、自分の心を守るための「適正な距離感」と「外部サービスの活用」を知ること。

あの日以来、「自分と家庭の平和を守るための選択肢」を持つことの大切さを、私は常に忘れないようにしています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢佑菜
管理栄養士の資格を持つ、2人の自閉症男子のママ。自身の育児環境の変化をきっかけに、ライター活動をスタート。食と健康を軸に、ライフスタイル全般のコラムを得意とし、実体験に基づいたリアルな記事を執筆中。専門的な情報を「わかりやすく、すぐに日常に取り入れられる形」で伝えることが信条。読者の「知りたい」に寄り添い、暮らしを整えるヒントを発信しつづけている。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.