親戚とのお祝いのやりとりは、金額や曖昧なルールに振り回されることもあって難しいものですよね。割り切るべきだとは分かっていても、どうしてもモヤモヤしてしまうこともあるのではないでしょうか。今回は、筆者の友人の体験談をお届けします。

夫の提案に拍子抜け

先日、また叔父から「そろそろ3番目の孫が入園するから、お祝い用意しといてくれよ」と連絡がきました。

その夜「うちの息子には入園祝いなんてくれなかったのに」と怒りを滲ませながら祝儀袋と向き合う私を見て、夫がコーヒーを飲みながら、のんびりと言いました。

「祝儀袋って、そんなに形相を変えてまで書くものじゃないよ。極端な話、嫌ならお祝いなんて出さなくてもいいんだよ」

驚く私に、夫は続けました。

「お祝いは、こっちが気持ちよく出せる金額でいい。たとえお返しがなくても、『別にいいや』と思える額にしてみたら?」

夫らしいストレートな提案に拍子抜けし、意固地になっていた自分がおかしくなり、思わず噴き出してしまいました。

期待を手放して見つけた心の軽さ

思えば、私は何をそんなに必死になっていたのでしょうか。
叔父の性格を変えようとしたり、見返りを期待したりすること自体が無駄だったのです。

それ以来、相手の反応は気にせず、家計に響かない“本当の気持ち分”だけを包むことに決めました。

「身内なんだから」という呪文に縛られていたのは、他ならぬ私自身だったのかもしれません。
「我が家はこれでいい」と思えるようになった途端、驚くほど心がスッキリしました。

自分なりの「誠実さ」

完璧なお返しや公平さを求めてイライラするよりも、自分の心の平穏を守る方がずっと大切。
結果として叔父に渡すお祝いの金額は下がったため、しばらくは叔父から不満の声もありましたが、「夫婦で決めたことなので」と突っぱねると、次第に何も言わなくなりました。

今では心から「おめでとう」の気持ちでお祝いを用意することができています。
相手がどうであれ、自分ができる範囲で誠実であればいいのだと思えるようになりました。

【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2026年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。

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