子どもが立ち止まった時、私たち大人はつい「正しい道」へ引き戻そうと必死になってしまいます。けれど、いつだって「正しさ」だけが子どもを救うわけではありませんよね。今回は、筆者の知人のエピソードをご紹介します。

正論というプレッシャー

「行かないと、後で困るのは本人なのよ!」
そんな私の言葉に、A子さんは泣きそうな顔をしながらも「……今は、待つしかないんです」と絞り出すように答えました。

A子さんのその表情を見た時、私はハッとしました。

今回のことで一番悩み、夜も眠れぬほど心を痛めていたのは、母親であるA子さん自身だったはず。
それなのに私は、孫とA子さんに寄り添うどころか、背後から石を投げるような真似をしていたのだ、ということに気付いたのです。

気付いた自分の傲慢さ

正論は時に人を傷つける刃になる。
安心や世間体のために孫やA子さんをコントロールしようとしていた自分の傲慢さが、恥ずかしくてたまらなくなりました。

古い価値観で勝手に決め付けて、孫の安全地帯である家庭ですら、居心地を悪くさせるところだったのです。

「辛い時に余計なことを言ってごめんなさい」
私は自分の過ちを認め、A子さんと孫に心から謝罪しました。

そして、それからはどんなに心配でも学校の話を一切封印し、「ただ機嫌よくそこにいること」だけを心掛けました。

孫が昼過ぎに起きてきても、何も聞かずに「今日はいいお天気ね」と笑いかけ、一緒におやつを食べ、テレビのニュースにツッコミを入れる。

そんな、何の生産性もない、けれど穏やかな時間だけを積み重ねていきました。

傷付いた心を救う、唯一の方法

数ヶ月後、リビングで一緒に雑誌を眺めていた孫が、「……おばあちゃん、そろそろ、学校行ってみようかな」と言ってくれた時は、胸が熱くなったものです。
A子さんも私と同じ気持ちだったのか、こっそり涙を拭っていました。

弱っている人に必要なのは、正しいアドバイスではなく「ここは世界で一番安全な場所だよ」という、絶対的な安心感です。

ただ隣に座って、嵐が過ぎ去るのを一緒に待つ。
それが、一歩引いた場所にいる私にできる精一杯の愛情なのだと、今は思います。

【体験者:60代・女性主婦、回答時期:2026年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。

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