筆者の体験談です。
母校である地元の小学校が廃校になり、記念アルバムが届きました。
その冊数を見て「え? どうしてこんなに?」と戸惑ったのですが——。

母のひと言

「一家に一冊でいいのに、どうして?」
そう母に尋ねると、返ってきたのは、あまりにも自然なひと言でした。

「それぞれに欲しいやろ」
父も母も、私も弟も卒業生。
たとえ実家を離れて嫁いだ私であっても、自分のページを手元で見たいだろうと考えてくれていたのだと言います。

式典や記念品のために集められた寄付は、一定金額ごとに記念品が渡される仕組みだったそうです。
母は「みんな一冊ずつ持てるように」と家族の人数分を申し込み、それぞれにいきわたるようにしてくれていました。
さらに母は、父の姉妹にも寄付の声をかけていたため、かなりの冊数が届いたのです。

後日、伯母の家にアルバムを持っていくと「ここにおるね」「若いなあ」と笑い声が響きます。
その小学校を明治・大正期に卒業したであろう曽祖父母の写真まで見つかり、「お父さんに似てるからこの人じゃない?」とみんなでページをのぞき込みました。

守りたかったもの

校舎はなくなっても、写真の中には確かに私たちがいました。
ページを囲んで笑う時間は、廃校の寂しさを忘れさせるほど温かいものでした。

両親が守ろうとしたのは、世代を越えて続く家族の記憶だったのだと思います。
あの日届いた何冊ものアルバムは、思い出を分け合うための数だったのだと、今は受け止めています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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