筆者の話です。
「座ればご飯が出てくる」が当たり前だった頃の記憶が、結婚後に静かに揺らぎました。
作る側に立って初めて見えたものとは。

帰省

久しぶりに実家へ帰省した日のことです。
何も言わなくても、台所から調理の音が聞こえ、食卓が次々と整っていきました。
おいしそうな香りとともに、私の好物が自然と並びます。
私はただ座っているだけなのに、母の手だけが迷いなく動いていました。

湯気の立つ汁物、小皿に分けられた副菜。
皿の数だけ、手が動いた時間がある。

その光景を目の前にした瞬間、胸がきゅっと締めつけられ、しばらく言葉が出てきませんでした。
あの頃、当たり前だと思っていたことは、決して当たり前ではなかったのです。

伝えた

その日の食卓で、私は「いつもご飯を用意してくれてありがとう。今度は私が作るね!」と口にしました。
言葉にした瞬間、これまで見えていなかった手間や気づかいが、静かに浮かび上がります。

毎日の献立や段取りは、誰かの時間と労力の上に成り立っていた。
作る側になった今、ようやくその重みを想像できるようになりました。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年12月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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