毎日顔を合わせている家族でも、心の内側までは案外見えないもの。平穏そうに見える生活の裏で、誰かひとりだけが無理を重ねている可能性もあります。今回は、筆者の知人が日頃の行いを反省したというエピソードをご紹介します。

尾行の先で見た姿

ある日、私はついに意を決してA子さんの後をつけることに。

向かった先は駅前のコインランドリー。
A子さんはそこで洗濯物が乾くのを待ちながら、ベンチで缶コーヒーを飲み、ただぼんやりと、誰もいない空間を見つめています。

その背中はあまりに小さく、疲弊しているように見えました。

私はハッとしました。
頭に思い浮かんだのは、いつも「疲れた」とスマホをいじってばかりで何も手伝おうとはしない、我が息子の姿。

A子さんに感謝の言葉を伝えるでもなく、とても夫として寄り添っているとは言えません。

息子への怒りと自責

私自身、なるべくA子さんの力になりたいと、家事や育児を手伝ってきたつもりです。

しかし、私がいくら動いても、夫である息子からの労いや、家事育児への協力がなければ、A子さんの孤独は埋まらないのではないでしょうか。

のうのうと寝ている息子への怒りと、そんな風に育ててしまった自分への情けなさが込み上げ、私は帰宅後すぐに息子の寝室へ向かいました。

そして、「起きなさい!」と布団を剥ぎ取り息子を一喝。

「A子さんは今、コインランドリーで一人時間を潰してるのよ。私がいくら手伝っても、あんたが夫として寄り添わなきゃ、家にあの子の居場所がないじゃない!」

逃げ場ではなく「安らげる家」にするために

翌朝、家事をしようとするA子さんを制止し、「今日は私が孫を見るし、家事は息子にやらせるから、好きなことをしてきて」と送り出しました。

昨夜私に厳しく叱責され、ようやく事の重大さに気づいた息子も、神妙な顔で頭を下げました。

A子さんの安心したような涙を見て、私は誓いました。
家事の手伝いだけでなく、息子を「まともな夫」に叩き直すことこそが、私のやるべき最大のサポートだったのだと。

今は家族全員で、本当の意味でのシェアを実践しています。

【体験者:60代・女性主婦、回答時期:2025年12月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.