子育て中は自分の趣味は後まわしで、家族を最優先にしている人も多いと思います。子どもが高校生くらいになってようやく、自分の趣味をゆっくり楽しめたり、友人との時間を取れたりするものです。
今回は、筆者の友人A子が子育てが一段落し、自分の時間を楽しもうと思っていたときに気付いた“手のかかる存在”についてのエピソードを紹介します。

そして、A子が帰宅すると、「こんな遅くまで出歩いて。家が散らかってる」などと小言を言われました。ラーメンを作って食べたのであろう皿や鍋は洗っていません。ちなみに、大学生の娘は自分でお弁当を作って大学に持って行ったり、友人と夕食を食べたり、バイト先でまかないを食べたりとうまくやりくりしていたよう。

A子は夫にあきれつつ、子どもたちを留守番させていたときのことを思い出しました。二人とも小学校高学年くらいでも、自分の帰りが遅くなれば、家にあるパンやラーメンなどをそれぞれ食べたり、高校生にもなれば自分で家にあるものを料理して食べたりしていました。また、自分が食べた食器は洗っていたし、家族の分を作ってくれることもありました。

A子は第2子が大学に進学するまで、自分が外出を控えていたのは、子どもたちではなく、夫が原因だったと気づきました。子どもたちの世話を焼いたという記憶は、ここ数年ほとんどなく、手はほとんどかかっていませんでした。A子がいつも世話をしているのは子どもではなく、夫だったのです。

子どもを理由に外出を控えていたはずが、夫が理由であったと気づき、A子はこれまでの我慢を思い起こすと、複雑な気持ちになりました。

夫を「お世話の対象」ではなく「自立した大人」として接していく。それが、これからの人生を自由に楽しむための第一歩だとA子は感じています。次のライブの予定を立てながら、夫にも少しずつ「自分のことは自分でする」練習をしてもらおうと、A子は前を向いています。

【体験者:50代・会社員女性、回答時期:2025年11月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:太田あやこ
大学でジェンダーや女性史を学んだことをきっかけに、専業ライターとして活動中。自身の経験を活かしながら、幅広い情報収集を行い、読者に寄り添うスタイルを貫いている。人生の選択肢を広げるヒントを提供し、日々の悩みに少しでも明るさをもたらせるよう、前向きになれる記事づくりに取り組んでいる。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.