筆者の話です。
12月になると、わが家ではパンフレットを囲んで「買うおせち」を選びます。
台所に立ち続けていた年末は過去のものになったけれど、母の黒豆だけは今も変わらず年の終わりを知らせてくれます。
形を変えても、受け継がれるぬくもりがそこにあります。
画像: 「もう、おせち作るのやめようか」台所に立ち続けていた母がこぼした本音と『最後の一品』に込めた思い

慌ただしい年末が変わった

昔の年末といえば、母が台所に立ちっぱなしでした。
数日前から黒豆を煮て、数の子の塩抜きをし、夜には煮しめの味を整える。
私はその横で、重箱を洗ったり、紅白なますを詰めたりして手伝ったものです。

湯気の中に漂う甘辛い香りと、忙しくも楽しそうな母の背中──それが「年の瀬の風景」でした。
けれどここ数年、母が「もう手作りはやめようか」と言い出したのです。
ご近所の付き合いで「おせちを買って」と言われたのが、きっかけだったそう。
体力的にもだいぶしんどくなってきたと、母は静かに笑っていました。

パンフレットで迎える年末準備

12月初旬のある日、ダイニングテーブルにパンフレットを広げて家族で集まります。
「この段重、海老が立派ね」「こっちは洋風も入ってる」
ページをめくるたび、笑い声がこぼれました。

手作りのおせちを用意していたころは、母も私も台所にこもりきり。
家族そろって年末を「過ごす」というより「こなしていた」に近かった気がします。
買う派になってからは、準備の負担が減り、その分、母の笑顔が増えました。
家族でゆっくり過ごせる時間がなによりもうれしかったのかもしれません。

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