筆者の話です。
久しぶりに実家へ帰ると、かつて自分の部屋だった場所は、すでに「物置部屋」に変わっていました。荷物をどかして寝るスペースをつくるところから始まる帰省。
家族の生活が進むのはわかるけれど、胸がぎゅっとなる瞬間があります。

母の一言で、胸がぎゅっとなる

片付けを終えて一息ついたところで、母が何気なく言いました。
「ここ、普段あんまり使ってないけど……まあ寝られるよね?」

優しいつもりの一言なのに、胸のどこかに小さく刺さるものがありました。
自分がいた時間より、家を出たあとの時間の方が長くなってきたという事実。
暮らしは止まらない。
誰も悪くない。
でも、少し置いていかれたみたいな寂しさがふっと近づきます。

大人になった「子ども」の場所

布団にはいりながら、思いました。
家を出て、自分の場所をつくってきた。
それは幸せなこと。

だからこそ、実家の「私の場所」が薄れていくのも、きっと自然な流れ。
「ただいま」より「どこで寝よう?」が先に出る帰省も、大人になった証拠なのかもしれません。

寂しさと、ちょっとの誇らしさ。
変わりゆく家族の形と、実家での自分の居場所。
少し寂しいけれど、こうやって距離感も育っていくのだと思います。
今日の布団のぬくもりは、そんな気づきと一緒にありました。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年11月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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