筆者の話です。
少女時代、夕方に外出するには必ず父の許可が必要でした。
「報告しないといけない」と思っていた日々を、今振り返ると──それは父なりの「会話のきっかけ」だったのかもしれません。

不器用なやさしさが残したもの

厳しいだけの父だと思っていたけれど、本当は「心配性なやさしさ」の表れだったのかもしれません。
当時の私にとっては義務でしかなかったけれど、今思えばそれは父なりのコミュニケーション。
そして「いつ」「どこで」「だれと」がわかっているという安心感。

言葉少なだった父の「いいよ」の一言に、たくさんの思いが詰まっていた。そう感じます。
父は10年前に他界してしまい、もう聞いてくれる人はいないけれど、あの時間が今も私の中で生きています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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