筆者の体験談です。
母は「親は子どもに何を言ってもいい」と思っている節があります。
頼られることがうれしい反面、「私は言うことを聞くだけの人なの?」と感じてしまった出来事がありました。

頼りにされることの「うれしさ」と「重さ」

頼まれごとをされると、やはり放っておけない。
母がひとりで抱え込まないようにと、つい動いてしまう自分がいます。
それでも、何度も同じようなやり取りを繰り返すうちに、心の中で小さくつぶやくようになりました。
「私って、言うことを聞くだけの便利な人なの……?」
いつの間にか「母のために動く」ことが「叱られないために動く」に変わっている気がします。
親孝行のつもりで動いているのに、感謝よりも義務感が残ってしまうことが増えていきました。

埋まらない「親子のギャップ」と小さな気づき

母にとっては「言うことを聞いてくれる=親孝行」。
でも、私にとっては「いいなりになること=親孝行」ではありません。
今さらながら、埋まらない「親子のギャップ」に心を振り回されてしまうこともあります。
それでも、母が私を頼るのは「甘えられる安心感」があるからなのかもしれません。

思えば、私も母の小言に反応できるうちは、まだ親子でいられる証。
母も私も、不器用なだけなのかもしれません。
この関係を「終わらせたくない距離」として、少しずつ向き合っていけたらと思います。
それでも、ふと疲れてしまう日もあるのです。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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