元気に暮らしている70歳になる筆者の知人A子さん。彼女はちょっとした出来事をきっかけに「これからの暮らし方」と「いつか迎える最期」について考えるようになったそうです。その姿に、他の世代にも重なる思いがあると感じました。
画像: 「お母さん、もう施設に入って」「えっ」息子の言葉に揺れる【70歳の母】の胸の内「やっと言えた」

転倒から始まった息子の心配

私は長いことひとり暮らしを楽しんできました。散歩も運動も毎日の習慣で、「私はまだ大丈夫」と心の中で言い聞かせていたのです。ところが先月、道でつまずいて転んでしまいました。

幸い軽い捻挫で済みましたが、地面に手をついた瞬間「もしこのまま動けなかったら」と、胸の奥がざわつきました。

それからというもの、遠方に住む息子夫婦がしょっちゅう連絡をくれるように。ありがたい反面、「もう年なんだと見られているのかも」と複雑な思いが残りました。

勧められた高齢者住宅への思い

ついに息子から「元気なうちにサービス付き高齢者住宅を考えてみては」と言われました。安心できる環境だとわかってはいます。しかし、正直なところ、「まだ自分で暮らせるのに」「住み慣れた家を離れたくない」という思いが拭いきれませんでした。

一方で別の思いもありました。「私が強情を張っているだけ?」「いずれ子どもに迷惑をかけてしまうのでは?」自立していたい気持ちと、家族への思いやり。その間で揺れながら、自分がどこへ向かうのか考えていました。

友人の姿に背中を押されて

その話をした友人に「見学だけでもしてみたら?」と言われました。彼女はずっと前から「子どもに手間をかけたくない」と考え、終活を終えていました。施設や病院、葬儀の段取りまで整えてあると聞き、私は胸を打たれました。「自分の最期まできちんと考えているなんて……」と。

その姿勢に触れ、「私も、もしもの備えをしておくのは悪くない」という思いが湧きました。まだ入るかどうかを決める必要はありません。ただ選択肢を知ることは、残された時間を安心して生きるための一歩になる。そう思えたのです。

今を大切に、未来に備える

私は息子に「今は自宅で暮らしたいけれど、将来の準備はしておくね」と伝えました。心の中で「やっと言えた」とほっとしました。息子はうなずき、私の気持ちを理解してくれたようでした。

これからの人生、どれくらい時間が残されているのかは誰にもわかりません。それでも「今を大事にしながら、終わりに向けて備えておく」ことはできるはず。わがままではなく、私らしく生きるための選択なのだと、自分に言い聞かせています。

【体験者:70代・女性無職 回答時期:2025年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。

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