子どもの頃は絶対的な存在だった親も、自分が大人になるにつれて、だんだんと見え方が変わってくるものです。「もしかして、うちの親って……」と、違和感を覚えた経験、あなたにもありませんか? 今回は、筆者の友人の体験談をご紹介します。

私の頭に、惨めだった子ども時代の記憶がよぎりました。
「じゃあ、私の服がいつもお下がりだったのは……」と尋ねると、母はケラケラと笑いながら言いました。

「そうそう! あなたの学資保険も解約したし、服もお下がりで節約したの。だって旅行を我慢したり、車を古いままで乗ったりなんて、ご近所の手前みっともないでしょ? 削れるところから削らないとね」

悲しいでも許せないでもなく「無理」

血の気が引きました。
毎年行っていた旅行も、ピカピカの新車も、諦める選択肢はあったはず。
それなのに、真っ先に犠牲にされたのは、子どもの私だったのです。

唇を噛み締めたあの日の惨めさは、全て両親の見栄のためだった……。
私の未来のためにあったはずの学資保険さえも。

母の笑顔が、生まれて初めて恐ろしいと感じた瞬間でした。

悲しいとか、許せないとか、そんな生易しい言葉では足りません。
ただ、心の底から冷たく「この親とは、もう無理だ」と思いました。

それ以来、私は実家と距離を置いています。

【体験者:20代・女性会社員、回答時期:2025年7月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。

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