子どもの頃、泣き虫だった自分に「やることはやりなさい」と厳しかった母。
大人になってから、その発言の真意に気づいて!?
筆者の友人T子が実際に体験したエピソードをご紹介します。
画像: 母「泣くのは勝手」宿題ができない私を慰めてくれなかった → 大人になって気づいた『母の真意』に納得

泣き虫だった幼少期

子どもの頃、とにかく泣き虫だった私。
友達と喧嘩しては泣き、習い事がうまくできなくては泣き、宿題ができなくても泣くような毎日。

そんな時に母は、私が泣き終わったところを見計らって

「泣くのは勝手。でも、泣いてもやることはやりなさい」

と冷静に言うのでした。

「なんて冷たいの!?」他のママが羨ましい!

私が泣いていても、慰めることもなくそう言い放つ母に対し、
「なぜ、母はこんなに冷たいんだろう?」
と思ったことも。

他の友達が、泣いていてママに優しく慰めてもらっている姿を見ては

「いいなあ、私も優しく慰めてもらいたい」

と羨ましく思っていました。

大人になってから気づいた「母の真意」

そんな私が
「もしかして」
と母の発言の真意に気づいたのは、大人になってから。

社会に出ると、理不尽なことや悔しいことに沢山出会います。
それで泣きそうになっても、仕事は止まってくれません。

子育ても同じで、どれだけしんどくて泣いていても、ご飯は作らなきゃいけないし、洗濯も待ってくれません。

そんなシビアな現実の中で、

「泣いてもいい。でも泣き終わったら、やるしかないよね」

と母は伝えたかったのかも、とようやく気づきました。

生きる力を教えてくれようとした

母のあの時の言動は、冷たいわけではなく、泣き虫だった自分に「生きる力」を教えてくれようとしていたのかもしれません。

母なりの、厳しさと優しさだったと、ようやくあの頃の母と同じ年齢になり、気づくようになりました。

今、自分も母親になり、子どもを育てているなかで、ただ甘やかすだけでは「自分で立ち上がる力」が育たないと感じることがあります。

なので、自分の子どもが泣いている時には

「悲しかったんだね。気が済むまで泣いていいよ。でも泣き終わったら、一緒にどうするか考えよう」

と声かけするようにしています。

あの頃は厳しいと感じた母だけど、今はその厳しさの裏に隠された優しさと自分への思いに感謝しています。

【体験者:40代・女性会社員、回答時期:2025年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Sana.Y
医療機関に勤めるアラフォーワーキングマザー。新卒で化粧品メーカーに入社後、結婚出産を機に退職。現在は転職し子育てと仕事の両立に励む。自分らしい生き方を求め、昔から好きだった書くことを仕事にしたくライターデビュー。化粧品メーカー勤務での経験や、会社でのワーキングマザーとしての立ち位置、ママ友との情報交換を通して美容や教育、女性の生き方を考えた情報を発信している。

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