「家族だから助け合うのは当たり前」そう思っていませんか? 世間には、家族のために自分を犠牲にしてしまう人は少なくありません。筆者の知人A子も同じような経験をしてきました。しかし、本当にそのままでよいのでしょうか? 今回はA子から話を聞きました。
画像: 毒親「お兄ちゃんを見捨てる気!? 」絶縁上等です。依存しあう親子に『財布扱い』された妹の決断は

溺愛された兄、そしてピアノの才能を開花させた私

「お兄ちゃんには、いろんなことを経験させてあげたいの」
幼いころから、母はいつもそう言って、兄ばかりを可愛がっていました。
兄は、ピアノ、水泳、英会話等、様々な習い事をさせてもらっていました。しかし、どれも長続きはしません。兄は母に言われて渋々通っていたのです。

一方、私は、兄の付き添いで通っていたピアノ教室に興味津々。
母に「私もピアノが習いたい!」とお願いすると、母は少し困った顔をしたものの、許可してくれました。ピアノを習い始めた私は、どんどんその魅力に惹き込まれていきます。

兄の度重なる金の無心、そして両親の過保護

中学に入ると、兄は両親への反抗を強め、度々お金を無心するようになりました。
「またお金? いい加減にしてよ」私がそう言っても、両親は「お兄ちゃんも、色々大変なのよ」と、いつも兄の味方でした。
成人しても、兄は仕事を転々とし、そのたびに両親にお金をせびる始末。
私はそんな兄に正直、嫌気がさしていました。

両親からの頼み、そしてA子の決断

やがて両親が年金暮らしになり、兄への援助は難しくなると、今度は私が頼りにされるように──。
「A子、お兄ちゃんを助けてあげてくれないかしら?」そう言われたとき、私はイラッとしました。

しかし、ピアノを習わせてもらったおかげで、音楽関係の仕事につけたことには感謝しています。
なので親孝行のつもりで、何度かお金を貸してあげました。でももう我慢の限界だったのです。

「もうこれ以上は無理だよ! 面倒見きれないよ」そう伝えると、母は泣きながら私を罵りました。

「なんて冷たい子なの! お兄ちゃんを見捨てる気!? この人でなし!」

自立への道、そして新たなスタート

この言葉を聞いた瞬間、私は唖然としました。

母がいつまでも自立できない兄ばかりを可愛がり、ずっと我慢をしてきた日々が一気に思い出され、ただただ悲しくて涙が止まらなかったのです。

私は、依存し合う両親と兄から抜け出すため、遠くの街へ引っ越すことを決意しました。

苦渋の決断でしたが、新しい街で、私は自分の足で立ち、自分の人生を歩み始めました。あのとき、勇気を出して本当に良かったです。

【体験者:30代・女性会社員、回答時期:2025年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。

コメントを読む・書く

This article is a sponsored article by
''.