筆者の話です。母が高齢になり、病院に通うことが増えました。突発的な出来事も多くなり、とうとう家での生活は難しいと判断せざるを得ない状況になり──

退院後の変化と不安な日々

退院後も、以前のようにはいかず、生活の中で不安な場面が増えていきます。

さらに、持病の影響か 「〇〇しなければならない」 と強く思い込むことが増え、真夏の炎天下や極寒の日でも 「今すぐ行かなきゃ!」 と外出。
職場に 「母がいない」 と連絡が入り、慌てて探しに帰ることが何度もありました。

もう日中、ひとりで過ごすのは難しい──そう判断し、母に施設に入ってもらうことを決めました。

家族会議と葛藤

家族会議の日、母は終始黙っていました。
私たちの言葉に一つひとつうなずきながらも、寂しげな表情を浮かべる母。
「そんなにひどいことになってる?」 「私はそんなに変な行動をしているの?」 と、戸惑うような目をしていました。

「仕事もあるから、ずっとそばにはいられない」 「施設のほうが、安全に暮らせると思う」
そう説得する私たちを、母はじっと見つめます。
「……そうなのね」 かすれた声が、静かに部屋に響きました。

しばらく沈黙が続いたあと、母は小さくうなずき
「あと数年、あなたたちが定年するまで頑張れば、家にいられると思っていたのに」
視線はどこか遠くをさまよい、寂しさと受け入れがたい現実の狭間で揺れているようでした。

正解はきっとない

仕事を持つ私たちにとって、日中ずっと母と一緒にいるのは難しい。でも、こんなに早く母を施設にお願いすることになるとは、私たちも想定外でした。

「もっと家で過ごさせてあげたかった」「でも、母が安全に暮らすには、家では無理だった」
どちらの選択が正解だったのか、今でもわかりません。
母に長く元気でいてほしくて、安全な生活を選んだのだと、言い聞かせる自分がいます。

ただ、面会に行くたび「家に帰りたい」とつぶやく母の姿を見ると、胸が締めつけられるのです。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年2月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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