筆者の母は私が小さい頃から身体が弱かったのですが、50代を迎えると同時にさまざまなガンを経験してしまいました。その後、70代で多発性骨髄腫という血液のガンに罹患。入院して1週間という早さで他界してしまったのです。原因は何だったのでしょうか……?
画像: 「毎週通院してたのに」心不全の診断から1週間後 → 母は『別の病気』で他界。まだ立ち直れません

通院

私の母は、多発性骨髄腫という病気で、大学病院へ通院していました。
抗がん剤の投与のため、1週間に1回という頻度で通院していたのですが、ある日、母の具合が悪くなったため、予約日前に急遽受診しました。

いつも診察を受けている医師から「心不全を起こしかけてるから、とりあえずは家で安静にしているように。」と言われ、いったん帰宅。
なかなか息苦しさが取れない母を自宅で看病していたのです。

一週間

しかし、安静にしていても母の体調は良くならず、息苦しさが酷くなってきたため、翌日再度受診しました。
すると、別の科の医師が来て「検査のために入院してください。」と言われたのです。

入院してから5日後、病院から呼び出しがあり、入院を勧めてくれた医師と面談すると「肺がんの症状が進んでいて、もしかすると2~3日の間に急変する可能性がある。」と言われました。
母は息苦しさからほとんど話せない状態。
その日は一旦帰宅したものの、翌日の昼頃に病院から急変の電話が。
母は入院して1週間で「ガン性リンパ管症」という別の病気で他界してしまったのです。

不信感

葬儀の際、私が経緯をくわしく説明すると、あまりの急な不幸に伯母・伯父・従妹は「あんなに毎週病院へ行っていたのに、どうして肺がんの予兆がわからなかったの?」と疑心暗鬼状態に。
医師は最善を尽くしてくれただろうとは思いますが、そう言われてもおかしくないような状況だったようにも思え、行き場のない悔しさが込み上げてきました。

しかし、葬儀が終わってから妹と話し合った結果「お母さんはもめ事が大嫌いな人だったよね。今さら病院へ何をしてもお母さんは帰ってこないから。」ということに落ち着きました。

もう少しだけ……

母は私が小さい頃から病弱で、大きな病気をいくつも経験してきた人だったので、ある程度の覚悟はしていました。
でも、あんなに急に亡くなってしまうとは思ってもいなかったので、まだショックが残っています。

息苦しくてろくに話もできなかった母。
もう少しだけ、ゆっくりと話せる時間がほしかったなと思っています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年1月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:RIE.K
国文学科を卒業し、教員免許を取得後はOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。介護士として働く。さらにシングルマザーとして子供を養うために、ファーストフード店・ショットバー・弁当屋・レストラン・塾講師・コールセンターなど、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。

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