親を亡くすというのは、何とも言えない喪失感に襲われます。唯一無二の味方をなくしたような気分になったのは筆者だけでしょうか? 母は長い闘病生活の末に亡くなりました。後悔ばかりの筆者を救ってくれたのは──?
画像: 病気がちだった母を亡くし、傷心の私に → 僧侶「きっと今頃は──」の優しい一言に救われ、涙

病弱だった母

私の母は、とても病弱な人でした。
若い頃から大きな病気を繰り返し、祖母から「あなたたちの出産は命がけだったのよ。」と聞いたときには、子ども心に『守ってあげなければいけない存在』のように思ったものです。

私は長女ということもあり、常に母の体調を気にしていました。
それは成長してからも変わらず、父が亡くなったタイミングで同居をし、密度の濃い時間を過ごすことになりました。

骨の変形する病気、数種類のガンなどを患い、最期は難病と呼ばれる病気で亡くなった母。
喪主を務めた私は、母の壮絶な人生に思いをはせて涙していました。

僧侶の一言

葬儀前日、喪主である私と僧侶が打ち合わせを行うことになりました。
「戒名を考えたいので、お母様の様子をたくさん聞かせてください。」と言われたため、私は母が病気がちだったこと、元気だったらいろいろなことがしたかったと話していたこと、孫をとても可愛がってくれたことなどを伝えたのです。

すると、その僧侶が「今頃は楽になられていますね。」と一言。
「極楽浄土は痛みや苦しみから解放される場所なんです。現世で痛い思い、苦しい思いをした人でも、全ての苦しみや痛みから解放されているんですよ。」と話してくれました。

今頃は……

位牌に記された戒名には、健康の『健』の文字が含まれ、僧侶曰く「健康であることの大切さと、人との和を大事にしてきたという意味を込めて考えました。」とのことでした。
母とはよくケンカもしたし、思うように動けない母のサポートをすることに、いら立ちや不満を感じたこともありました。
それでも最期まで痛くて苦しい思いをしていた母がとても不憫で、「もっと元気に生まれて来れれば良かったのに。」と思っていたのです。

葬儀で偶然出会った僧侶の言葉は、私の心をとても軽くしてくれました。
今頃は仲の良かった祖父母や叔父、母のことが大好きだった父と一緒に、やりたかったことをやっているのかなぁと思っています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2024年11月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:RIE.K
国文学科を卒業し、教員免許を取得後はOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。介護士として働く。さらにシングルマザーとして子供を養うために、ファーストフード店・ショットバー・弁当屋・レストラン・塾講師・コールセンターなど、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。

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