女の戦いをあらわす「後妻打ち」ですが、昔からあったものだそうですよ。歴史書に載るくらいの大騒動を起こした女性もいます。何と読むのでしょうか?
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側室や新妻への制裁

「後妻打ち」は「うわなりうち」と読みます。夫が側室を迎えた時や、離縁されて1ヶ月もしないうちに元夫が再婚した際に、正妻や元妻側が、側室や新妻に制裁を加えることをいいます。

先妻側の攻撃も後妻側の防戦も、近所や親族の女性を巻き込んで、賑やかに行われたようです。武器に使われたのは、ほうきやしゃもじ、鍋のふたなど。戦った後はお互いに後くされなく済みました。後妻打ちの習慣は江戸時代の17世紀前半頃には廃れたようですよ。

尼将軍と呼ばれたあの女性も「後妻打ち」を

歴史書の『吾妻鑑』は、北条政子の後妻打ちの様子を書き記しています。

継母の牧の方(まきのかた)から、北条政子は出産の時期に夫の源頼朝が愛妾の亀の前(かめのまえ)と浮気をしていると告げ口されます。

牧の方の兄に頼んで、亀の前の家を壊すなどして後妻打ちを行ったとのこと。源頼朝は怒り狂い、牧の方の兄を罰してしまいました。それに黙っていられないのが、北条政子の父親の北条時政。自分の娘と義兄を馬鹿にされたと怒り、自分の領地の伊豆に帰ってしまいました。

源氏の棟梁といえども、支えてくれるはずの妻の実家の人に去られて、源頼朝は困ったでしょうね。それでも、懲りずに浮気はやめられなかったようです。

かえって他の武士が北条政子を怖がったとのこと。娘を頼朝の側室に出すよう命じられても断り、愛妾が産んだ男の子の傅役を仰せつかっても辞退したということですよ。

writer:海辺のつばくろ

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