毎日食事を用意するようになって、昔の自分を思い出すことはありませんか? 何気なく食べていた頃には気づかなかったことが、今になって見えてくることもあります。今回は、母の手料理をめぐって後から気づいた、筆者のエピソードをご紹介します。
何も考えずに
実家に住んでいた頃、母の手料理を特別なことと思わずに食べていました。時には「また和食?」と口にしたり、魚を残したりと、失礼な態度をとることもありました。
そのときは、とくに深く考えていなかった私。自分の好みを言っているだけで、作ってくれている人を困らせるつもりはなかったのです。
休日の朝には卵焼きの味の好みを聞かれ、「甘め」と答えれば、その通りに作ってもらうのが当たり前。食事中も「これ取って」「調味料ほしい」と気軽に頼み、母は料理をしながらそれに応じてくれていました。
今思えば、母はずっと動いていたように感じます。
家族が食べ終わる頃、ようやく食卓につきますが、そのことに疑問を持つこともありませんでした。それがどれだけ大変なことなのか、想像することもなかったのです。
作る側になって、見えたこと
しかし今、自分が親となり、子どもたちの食事を用意する立場になって気づきます。
「これじゃない」「別のがいい」「あれ取って」と次々に出る要望に応えながらの食事は、想像以上に慌ただしく、落ち着いて座ることすら難しい。キッチンと食卓を何度も往復しながら、「早く座りたい」と思うのに、そのタイミングがなかなかやってこないのです。
先日も、用意したご飯を前に「思っていた味と違う」と言われ、作り直したものの「やっぱりいらない」と席を離れて遊びはじめる姿を見て、思わずイラっとしました。その瞬間、「さっきまで準備していた時間は、何だったんだろう」と、やり場のない気持ちがこみ上げてきました。