筆者の話です。
法事で親戚が集まるたび、私は決まってある席に向かいます。
そこには、父を思い出す理由がありました。

重なる瞬間

その日も、親戚たちの笑い声が広がる席でした。
誰かの話に、その人がふっと声を上げて笑いました。
くしゃっと目じりが下がる、その瞬間。
私は思わず息をのみました。
そこにいたのは『面影』ではありませんでした。私の記憶の中で止まっていた父が、今ここで笑っている──そう錯覚するほど鮮烈な、父の「生」そのものでした。
ほんの一瞬でしたが、胸の奥が強く揺れ、言葉が出なくなりました。

父の笑顔

もちろん、本人ではないことはわかっています。
それでも、その笑顔に出会うたび、もう一度父に会えたような気持ちになります。
懐かしさが込み上げ、うっかり涙がこぼれそうになることもあります。

父はいません。
けれど、あの笑顔に再会できると思うと、法事の日も少し違って見えます。
今ではそれが、私にとって法事に参加するひそかな楽しみになっています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。