これは、友人のA子が夫との休日の過ごし方をめぐる言葉のすれ違いから、「思いやりの形」について気づかされたエピソードです。

期待していた“家族の休日”

その日は、久しぶりの家族全員が揃う休日でした。
A子は前日からお弁当の準備をし、息子K太の好きな唐揚げを揚げ、ピクニックシートまで新調していました。
「K太も久々にリフレッシュできるかな」
そう思いながら朝食を並べたA子の前で、夫は新聞を広げたまま、気の抜けた声で言いました。
「俺、今日は家でゆっくりしたいんだけど」
その一言に、A子は一瞬固まりました。
「え? K太も楽しみにしてたのに……」と言いかけるも、夫は「毎日働いてるんだし、休ませてよ」と疲れた顔。
A子はそれ以上言葉が出ませんでした。

我慢を重ねるA子の本音

結局その日、A子はK太を連れて2人で公園に行きました。
芝生の上で遊ぶ息子の笑顔を見ても、どこか心が晴れません。
「仕事で疲れてるのはわかる。でも、家族の時間を“義務”みたいに感じてるのかな……」
帰宅すると、夫はソファで昼寝をしていました。
テーブルの上には、飲みかけのコーヒーとスマホ。
A子は胸の奥にモヤモヤを抱えながら、黙って夕食の準備を始めました。
その夜、寝室で「たまには一緒に出かけたいな」と伝えようとしたものの、夫の寝息を聞いた瞬間、言葉を飲み込んでしまいました。