親ならば誰しも、我が子には「自分より広い世界を見てほしい」と願うものでしょう。けれど、優秀に育っていく背中を見て、ふと「自分は母親として足りないのではないか」と自信を失ってしまう夜があるかもしれません。
これは筆者の知人A子から聞いた、ある「ピザの事件」のお話。長年のコンプレックスに悩んでいた彼女が、娘のあるひと言に救われ、親子の関わり方を見つめ直した出来事です。

私の知らない景色を、あなたには

私は長年、「高卒」という経歴に、人知れず引け目を感じて生きてきました。それは学歴の良し悪しというより、「進学しなかったことで、見ることのできなかった世界がある」という個人的な後悔です。

だからこそ、子どもたちには多くの選択肢という「武器」を持たせてあげたかった。

高価な塾に通わせる余裕はありませんでしたが、その分、図書館に通い詰め、絵本の読み聞かせを大切にしました。

「本が好きになれば、世界は広がる」。そう信じて、言葉の種をまき続けたのです。

優秀な娘と、色あせる私の自信

その甲斐あってか、小学校高学年になった娘は驚くほど優秀に育ちました。

難しい専門書を読みあさり、ニュースを見れば、大人顔負けの鋭い意見を口にします。私が同い年のころとは比べものにならない知性。

しかし、娘が賢くなればなるほど、私の胸には喜びと共に焦りが募っていきました。

「この子はもう、私の手の届かない場所に行こうとしている」

娘の質問に即答できず、隠れて検索する自分に気づくたび、母親としての自信を失いつつあったのです。

崩れたピザと、優しさの嘘

ある休日のこと。宅配ピザを受け取る際、配達員さんが手元を滑らせ、箱を派手にひっくり返してしまいました。

青ざめる彼を見て、私は「大丈夫ですよ」と穏やかに声をかけ、そのまま商品を受け取ったのです。けれど、リビングに戻った私は、家族にあえてこう言いました。

「ごめん! ママ、手が滑って落としちゃった」

彼を責めて食卓の空気を凍らせたくない一心で、とっさに出た言葉でした。事情を知らない夫と息子は「ママはドジだなぁ。ま、食べれば一緒だよ!」と笑い、形が崩れたピザを皆で囲みました。

私がそのミスを全部引き受けるだけで、この場が丸く収まるなら安いもの。そう思って、私は安堵していたのです。