筆者の話です。
実家へ行くたび、母から「捨てる前に一度見せてね」と言われてきました。
けれど『いつか使う』はなかなか叶わず、物だけが静かに積もっていった日々の気づきです。
実家へ行くたび、母から「捨てる前に一度見せてね」と言われてきました。
けれど『いつか使う』はなかなか叶わず、物だけが静かに積もっていった日々の気づきです。
叶わない「いつか」
ある日、渡した覚えのある収納ケースが、袋に入ったまま積まれているのを見つけました。
その横にも、前に持ってきた未使用のままの食器が重ねられていて、思わず言葉が止まりました。
「使ってないんだね」と伝えると、母は悪びれず「誰か使うかもしれんけん」と笑います。
ほんの少しだけ胸が痛みました。
母の「いつか」は、誰にも届かないまま積もっていく。
もしかしたら、私が『気軽に渡し続けてきたこと』も、物が増える一因だったのかもしれないと気づいた瞬間でした。
片づけの本当の意味
その後、私は母の家に物を持ち込む前に、ひと呼吸おくようになりました。
片づけは「捨てない工夫」だけではなく「手放す勇気」も必要なのだと知ったからです。
母の『誰かのために取っておく優しさ』は変わらないけれど、叶わないまま積まれていく物を見ると、少し切なくなります。
だから今は、母と一緒に「本当に必要?」と話しながら進めるようにしています。
物が減り、部屋に空気が通ると、母もどこかほっとした表情を見せてくれました。
あの日の気づきは、実家の片づけだけでなく、私自身の向き合い方まで変えてくれたように思います。
【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年12月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。