親子の関係において、親が子を「信じる」ということは、子どもを支える大切な土台になりますよね。けれど、時には柔軟な考え方や客観的な視点も必要になることがあります。今回は、筆者の友人が興味深い話を聞かせてくれました。

揺るぎない自信のママ友

同じ幼稚園に子どもを通わせるママ友のY美さん。
彼女の口癖は「私は自分の子どもを信じてるから」で、その言葉の通り、子どもの言動を絶対的に信じているように見えました。

「子どもを信じる」、それ自体はとても素晴らしいことです。
しかし、子どもが何か問題を起こしたとしても、Y美さんは「うちの子がそんなことをするわけがない」と、一切の疑いを持たないので、私は内心「少し危ういかもしれない……」とも感じていました。

園で起きた小さな事件

ある日、幼稚園で小さなトラブルが起こりました。

おもちゃの取り合いから口論になり、Y美さんの子どもが私の子どもを押してしまったのです。
私の子どもは後ろに倒れ込み、頭を打って大声で泣き叫びました。

幸い、たんこぶができただけで大事には至らなかったものの、ケガをしてしまったことは事実です。
しかし、Y美さんはやはり「うちの子がそんなことをするはずがない」と、信じ切っていました。

譲れない主張

園はこの件を重く受け止め、私とY美さんを交えて話し合いの場を設けてくださいました。
Y美さんの子どもは「押してない!」ときっぱり主張し、Y美さんもそれを完全に信じ切っています。

目撃していた先生や他のお子さんの証言を聞いても、「うちの子はやってないんだから悪くない。だからこっちが謝るのはおかしい。子どもを信じるのが親のつとめです!」と、頑なな態度を崩しませんでした。

私も感情的にならず事実を淡々と伝えましたが、彼女の心には響かないようでした。

信じることと認めること

その時です。
ベテランの先生が、穏やかな口調で話に入ってきました。

「子どもを信じることは大切です。でも、明らかに間違っていた時に、きちんと謝ることを教えるのも、親としての大切な役割ではないでしょうか?」

その言葉を聞いた途端、Y美さんの表情がぱっと変わったのが分かりました。
信じることと、間違いを認めて謝ることは両立できるのだと、ようやく気づいたのでしょう。

Y美さんは子どもとよく話し合い、最終的には私や先生、私の子どもに謝罪してくれました。

親の姿勢ひとつで、子どもに伝わるものも変わるのだ、と実感した出来事でした。

【体験者:30代・女性主婦、回答時期:2025年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:藍沢ゆきの
元OL。出産を機に、育休取得の難しさやワーキングマザーの生き辛さに疑問を持ち、問題提起したいとライターに転身。以来恋愛や人間関係に関するコラムをこれまでに1000本以上執筆するフリーライター。日々フィールドワークやリモートインタビューで女性の人生に関する喜怒哀楽を取材。記事にしている。