娘からの一本の電話で、長年“嫁”として我慢し続けてきた日々に終止符を打った友人。義母に従い、夫にも理解されなかった日々。そんな私を、ずっと見ていた娘がかけてくれた言葉とは? 友人が、体験談を語ってくれました。

義母との同居生活

結婚後、義母と同居していた私。

家事のやり方から子どものしつけまで、義母の口出しは細かく、嫌味は日常茶飯事。

夫はというと、「母さんの言うこと聞いてやれよ」「母さんも悪気があるわけじゃないんだから」。

いつも義母の肩を持つばかりで、私の味方になってくれたことは一度たりともありません。

そんな私の唯一の味方が、一人娘。

「お母さん大丈夫?」と声をかけてくれる娘に、私は「大丈夫、大丈夫」と笑ってみせるしかありませんでした。

娘からの提案

それから時は流れ、娘は結婚し、県外に家を建てました。

ある日、娘から電話が。

「お母さん、うちに来ない? お父さん、ずっとおばあちゃんの肩ばっかり持ってひどかったじゃん。そっちと仲良くやってもらえば?」

思わず涙が溢れました。娘は私の苦しみに気づき、ずっと心に留めていてくれたのです。

「そうしたい」その言葉が喉まで出てきました。でも私は、「お父さんが一生懸命働いてくれたおかげで、生活できてたんだから」と答えました。

娘の言葉が胸に刺さる

すると娘は、少し声を落として言いました。

「でもさ、私は小さいころからずっと見てたよ。お父さんって、おばあちゃんの味方ばっかり。お母さんが我慢してるのに、助けてもくれなかった。そんなに仲良いなら、もう2人で暮らせばいいんだよ」

胸にグサリと突き刺さりました。でも、それは紛れもない事実でした。

私、“嫁”を卒業します

後日、夫に冗談めかしてこの話をすると、「好きにすればいい」と、まるで他人事のように言われたのです。

ああ、この人は最後の最後まで義母の味方なんだ。

私の中で、何かがプツンと切れました。

私はついに家を出て、娘のもとで暮らすことに決めました。長年耐えてきた“嫁”の役目を、ようやく卒業することにしたのです。

【体験者:60代・女性パート、回答時期:2025年7月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Yuki Unagi
フリーペーパーの編集として約10年活躍。出産を機に退職した後、子どもの手が離れたのをきっかけに、在宅webライターとして活動をスタート。自分自身の体験や友人知人へのインタビューを行い、大人の女性向けサイトを中心に、得意とする家族関係のコラムを執筆している。