義実家に泊まりで帰省すると、私の “最初の仕事” はいつもお風呂掃除。
最初は好意で引き受けたつもりが、いつの間にか “当然のこと” になっていて──
きっかけは「やりますよ」のひと言
新婚当時、大掃除の真っ最中に帰省したことがありました。
何となく手持ち無沙汰で、座っているのも落ち着かず、動き出さずにはいられなかった私。
実家でも自分の担当だったこともあり、手をつけられていなかったお風呂掃除を「やりますよ」 と申し出たのが始まりでした。
義母も「お風呂掃除きらいなの、助かるわ」と喜んでくれ、それが嬉しくて、つい張り切ってしまったのです。
次第に「当然の役割」に
ところが、それ以来帰省のたびに「はい、あなたの仕事ね」とばかりに、私の役割になってしまいました。
ざっとしか掃除されていない浴室にこもり、湿気がこもる中でゴシゴシ磨くのは、汗だくになるほどの重労働。
排水口の髪の毛、カビっぽいタイル……日々使っている場所なのに、私が来るまでちゃんと誰も掃除しないの? と、やるせない気持ちになります。
無言の圧とモヤモヤの日々
掃除をしている間、誰かが手伝ってくれるわけでもなく、その間も義家族は楽しそうに団らんを続けています。
「お風呂掃除終わりました」
そう義家族に声を掛けてみてもみんな会話に夢中で気付かれないこともしばしば。
もしかして、嫁はただの労働力と思っているのかなとつい思ってしまいます。
たまに「今日はやらなくてもいいかな」と思って忘れたふりをしてみても、泊まりがけなので、お風呂の準備はどうしても必要で。
「昨日、私が入ったままになってるの、ごめんね」 と言われると、断る勇気のない私は結局バスルームに向かってしまいます。
そして、一歩足を踏み入れるといろいろ結局気になってしまい大掃除になってしまうのです。
「私が勝手にやってしまうのが悪いのかな」と思いつつも、モヤモヤは募るばかりでした。
掃除はするけど、心に線を引いた
だから今回は、最初から「軽く流す程度で済ませよう」 と決めていました。
どうせまた私がやると思っているなら、その “期待” を少しずつ外していかないと──。
掃除をしなかったわけではありません。
でも、今回はタイルの目地まで丁寧に磨くのはやめて、必要最低限にとどめました。
自分を守るためにも、必要な境界線を心の中でそっと線を引いたのです。
【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年5月】
※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。
ltnライター:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。