駅の階段で
旅行帰りの夕方。駅の階段は、帰宅ラッシュでごった返していました。
そんな中、田村夫妻はふと足を止めます。大きな荷物を抱えた老夫婦が、階段の途中で立ち往生していたのです。
「ちょっと危なっかしいね……」
「見て見ぬふりはできないね」
そうつぶやいたときには、もう足が動いていました。
田村夫妻は、日ごろから面倒見がよくて、誰からも悪く言われたことがありません。誰かが困っているのを見かけたら、放っておけない。頼られなくても、自然と手が出る。そんなふたりです。
少しでも力になれたらと、老夫婦のそばへ駆け寄り、荷物にそっと手を伸ばしました――
手を伸ばした、そのとき
「お荷物、持ちましょうか?」
そう声をかけて、田村さんがそっと手を伸ばした――そのときでした。
ご年配の奥様が、目を見開いて叫びました。
「盗られる!」
すぐ隣にいたご主人も、思わず声を荒げます。
「だれだ、君は!」
その瞬間、あれだけざわついていた駅の空気が、スッと凍りついたように感じました。
階段を行き交っていた人たちも足を止め、ふたりに注がれる視線が痛いほど突き刺さります。
まさか、善意で差し出した手が、こんな形で拒まれるなんて。
「違います! お手伝いしますよ!」田村さんの声が、駅の階段に響きました。必死なひと言に、ざわついていた空気が一瞬で静まります。
かみ合わない夫婦漫才
「どうかしましたか?」制服姿の駅員が駆け寄ってきました。まわりの人々も足を止め、視線だけがこちらに集まっています。
ご主人がまだ混乱した様子で言います。
「急に叫ぶから、驚いたんだけど……なんなの? おたくらは」
田村さんは、慌てて息を整えながら説明を始めました。
「荷物が大変そうだったので、手を貸そうとしただけなんです。驚かせるつもりなんて、まったくなくて」
駅員はうなずき、老夫婦の方へ向き直りました。
「こちらの方々は、親切心からお声をかけたそうです。誤解だったようですね」