筆者は5年ほど前にガンであることがわかり、治療することになりました。手術はもちろん、その後の放射線治療や抗がん剤治療は副作用が酷く、日常生活にも大きな支障が出ていて、気分が沈む日々を送っていました。

贈り物

私がガンになったことは身内とごく親しい友人にだけ知らせていました。
あまり不用意に伝えて、心配をかけたくなかったからです。

そんなある日、体調が悪く家で休んでいた時、宅急便が届きました。
何も頼んだ覚えはないのにと思いながら差出人を見ると、短大時代の友人・F恵の名前が……。
中を見ると、茶色い袋に入ったお守りと手紙が入っていたのです。

手紙

お守りは病気平癒で有名な奈良県の神社の物。
手紙には「R(私)と同じ病気で10年前に母親が亡くなって、私自身も8年前に病気がわかって手術をしました。私にとってRは大事な友達。だから絶対に元気になって欲しいと思って、お守りを送ります。」と書かれていました。

私はF恵が同じ病気だったことは全く知りませんでした。
確かにF恵には入院することを伝えたのですが、特にその後の報告はしていなかったので、すぐにF恵に連絡を取ることにしました。

病状

電話口のF恵は元気のない声で「大丈夫?」と聞いてきました。
私よりはるかに具合の悪そうな声だったので「F恵こそ具合悪そうだよ?」と聞くと、最近ガンが再発して、治療中だということがわかったのです。

F恵は「お守り買いに行った時はまだ元気だったんだけどね。今はちょっと辛いかな。」というので、お礼を言い、後日お見舞いへ行くと約束しました。

しかし、お見舞いへ行こうとしていた矢先にF恵は病状が悪化して入院。
面会も許されないまま、1ヶ月後には旦那さんから亡くなったという連絡が入ったのです。

感謝

自分も具合の悪い状態だったのに、私のためにわざわざ病気平癒の神社へ行ってくれたこと、そんな状態でも他人を思いやれる気持ちを持ったF恵のことを、私は友達として誇らしく思いました。

お葬式へ行くと、旦那さんがF恵が書いたという私宛の手紙を渡してくれました。
「わざわざお参りに行ってくれたんでしょ?」と聞くと、「自分の願掛けもあったと思うけど、2人分って言ってたよ。」とのこと。
旦那さんは、F恵がとても真剣にお守りを選んでいたのが忘れられないと言っていました。

F恵の手紙には「あんたは頑張りすぎるんだから頑張っちゃダメ。『いい加減』でね。」と書かれていました。
文字はF恵の字とは思えないほど震えていましたが、今でもそのメッセージは私の心に強く残っています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:RIE.K
国文学科を卒業し、教員免許を取得後はOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。介護士として働く。さらにシングルマザーとして子供を養うために、ファーストフード店・ショットバー・弁当屋・レストラン・塾講師・コールセンターなど、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。