私たちは心のどこかで「自分の親はいつまでも元気」と思ってしまいがちですが、老いは誰にでも平等に訪れます。
筆者友人のM子が、母親の入院生活とその後のサポートを体験し、感じたことを語ってくれました。

元気な母に安心

80代前半の私の母はとても元気。

電車やバスを使って一人でどこにでも行けましたし、ある時は同年代の仲良しグループでバスツアーに参加し、お寿司の食べ放題を満喫していました。

私の実家は私の家から車で30分くらいのところにあります。

けっして遠くはないのですが、頻繁に顔出すのには少し億劫な距離です。

母に認知症もなく、身の周りのことも母自身でできている安心感もあり、
「行こうと思えばいつでもいけるから」
と私の足は実家から遠のいていました。

骨折して入院、その時母は

元気な母でしたが、ある日家の中で転び足を骨折してしまいました。

命に別状はなかったのですが、1ヵ月ほど入院することになってしまったのです。

当時はコロナの影響で、入院期間に家族はだれもお見舞いに行けませんでした。

場所の変化や人と話すことができない入院生活のストレスからか、一時的に母に「せん妄」という一時的な精神障害が出てしまいました。

そのため数年前に亡くなった父が家にいるといったり、自分がどこにいるのかわからないと言ったり。

一番ショックだったのは、娘である私のことがわからないと言ったことです。

自宅でリハビリ

退院後、毎日のように私は実家に通いました。

入院生活で衰えてしまった筋力や機能が回復するように、母と一緒に家事をして母が少しずつ体を動かせるようにサポートしました。

たくさん母に話しかけて昔の話をするとしだいに記憶が戻り、無表情だった母の顔に以前のような生き生きとした表情がもどりました。

今では私の支えがなくても一人で歩け、外出するのも不安ありません。

「じっとしてると体がなまっちゃう」
と動き回る入院前と変わらない母を見て、心の底から安堵しています。

今、一緒に過ごせる時間を大切に

幸い母は無事に回復して元気な母にもどりましたが、母が私を忘れてしまった不安な日々を忘れることはないでしょう。

もちろん、どんな母も私にとって大切な母には変わりありません。

だからこそ元気な時から頻繁に会い、過去の思い出を話し合ったり、今の思い出を新たに作っていくことが大切だと感じました。

【体験者:50代・専業主婦、回答時期:2024年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

Itnライター:K.Sakura
セラピスト・販売員・介護士の職を通じて常に人と関わる職務経験から得た情報を記事化するブロガーを志す。15年ほど専業主婦兼ブロガーとして活動するも、モラハラな夫からから逃げるために50代にして独立。母としては、発達障害のある子どもの育児に奮闘。自分の経験が同じような状況に悩む人の励みになって欲しいと思い、専門ライターに転身。アラフィフでも人生やり直しができることを実感。