【シップス】で展開されているレーベル【Wai+】のディレクションをはじめ、主にセレクトショップとタッグを組んだ活動をされているファッションディレクターの野尻美穂さん。「セレクトショップに育てられた」と考える野尻さんの活動の軸には、フリーランスになる以前、大手セレクトショップでの販売員やプレス経験があったからこそ。ファッション業界に進んだ理由から会社員時代までを振り返ってもらいました。

ファッションか美容か、で迷った学生時代

――ファッションに興味を持つようになったきっかけから教えてください。

野尻 高校の時ダンス部に所属していて、衣装を用意したりヘアアレンジをすたりするのがすごくおもしろくて。そこで将来はファッションか美容に進みたいと考えるようになったんです。その時は髪の毛をいじる方が楽しくて、美容専門学校に進学しました。

専門学校に入ってからは洋服を原宿で買うことが増えて、当時流行っていた【文化屋雑貨】でイチゴ柄の靴下を買ってみたり、【ラルフ ローレン】に憧れてラガーシャツを買ってみたり。そういう時代を経て、当時最終的にメンズのストリートファッションがおもしろくなって、美容から洋服へどんどん興味が移っていきました。

画像: 野尻美穂さん/1984年生まれ。シップス社の販売員、プレスを経て、2014年よりフリーランスのファッションディレクターに。セレクトショップを中心にディレクション業務を行っている。 出典:ftn

野尻美穂さん/1984年生まれ。シップス社の販売員、プレスを経て、2014年よりフリーランスのファッションディレクターに。セレクトショップを中心にディレクション業務を行っている。

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――そこからアパレル業界で働きたいとなるんですね。

野尻 そうです。いろいろ経験していく中で自分に何が合っているか、気づいた感じですね。当時好きだったメンズブランドで販売員をしたかったものの、募集していなくて。【シップス】がアルバイト販売員の求人をしていたので応募しました。

――学生時代の野尻さんが通ってきたジャンルに比べて、【シップス】のテイストはきれいめですよね。

野尻 学生の私に【シップス】の洋服は高価で買えなかったし、お店も覗いたのも少しだけ。ほぼ行ったことはありませんでした。だけど、ここで募集を見つけたということは「何か縁があるはず!
」と面接を受けに行きました。無事採用されて渋谷店に配属されました。

自分のコーディネートが客観視できるようになって接客が楽しく

――今まで触れてきてないタイプの洋服を販売するって、難しくありませんでしたか?

野尻 若かったせいか、当初は【シップス】オリジナルアイテムのよさもいまいちわかっておらず、ターコイズの飾りが付いたジーンズをはいて出勤していました。らしからぬ格好で接客していたから、「店のイメージに合う服装にしなさい」と先輩にも厳しく言われていました。

画像: 現在の野尻さんは上品なカジュアルスタイルがお好み。シャツ¥19,800、パンツ¥20,900(いずれも税込)ともに【Wai+】 その他/本人私物 出典:Wai+

現在の野尻さんは上品なカジュアルスタイルがお好み。シャツ¥19,800、パンツ¥20,900(いずれも税込)ともに【Wai+】 その他/本人私物

出典:Wai+

野尻 【シップス】の洋服を着て店頭に立つようになって、気づきがあったんです。アパレルのショップっていろんなところに姿見があるじゃないですか。それで自分の姿を毎日見ていると「今日のコーディネートよくないな」って反省することがよくあって。引いて見ることで、自分のスタイルを客観視できるようになったんです。「なんか違う」と思ったら、その場で買い直すってことをよくしていました。

自分を俯瞰できるようになるとコーディネートがすごく楽しくなってきたんですね。コーディネートを提案しながら接客したい意欲が高まって、やっと販売員の楽しさが理解できるようになりました。洋服代はかかったけど、今となってみれば勉強代ですね。

プレスを志望するも社内公募で3回も落とされて

――販売員の仕事が充実してきたんですね。

野尻 気が多いんですが、当時はバイヤーとプレスも気になっていました。私が働いていた頃の【シップス】は世に先駆けて気鋭のブランドをたくさんセレクトしていて、新しいブランドやアイテムを知れるのがとにかく刺激的。仕入れを担当するバイヤーもいいなぁって。

同じ頃、雑誌のスナップに呼んでいただく機会も増えていました。雑誌を通じて自分が着た服を紹介することの楽しさややりがいを感じていました。プレスならそういう仕事ができそうだな、とプレスの社内公募に3回応募したものの、実は全部落ちているんです。3回もだめだったら、もうプレスにはなれないだろうなって諦めかけていた時、新レーベルのお店が新宿にできるからオープニングスタッフとして異動するか、バイヤーになるかって誘われたんですよ。

画像: アクセサリーはシンプルな中にデザイン性のあるものが多いという野尻さん。 出典:ftn

アクセサリーはシンプルな中にデザイン性のあるものが多いという野尻さん。

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――バイヤーにも興味がありましたもんね。

野尻 でも、その時はもうプレスに気持ちが向いていました。なれる保証はないのに、プレスがしたいからとバイヤーの誘いは断ったんです。望みは薄いけど可能性はゼロではないと思っていましたから。その後、しばらく販売員を続けていたら「プレス、まだやる気ある?」ってお声がけをいただいたんです。

――夢を掴むチャンスですね。

野尻 そうなんです。ただ嬉しかったはずなのに、その打診を一度お断りしてしまったんです。当時私のいたお店は売上もよく、私自身も全国の【シップス】販売員の中で売上1位を獲得したこともあったんです。お店も私も調子がいい時だったので、混乱してしまって。

一旦断ったものの、閉店後に店長と私の今後を毎日話して。プレスになれば販売員では見えなかった景色が見えるかも、って店長が背中を押してくれ、視野を広げたかったので異動を決めました。

楽しくも、葛藤を覚えたこともあったプレス時代

画像: プレスとして多忙を極めていた頃の野尻さん。 出典:ftn

プレスとして多忙を極めていた頃の野尻さん。

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――念願のプレスになれて、どんな仕事をされましたか?

野尻 メディアで見るプレスってキラキラしているイメージがありません? 私も華やかな部分にばかり目がいきがちでしたが、本来は裏方。どの仕事でもそうでしょうけど、裏には地道な仕事がたくさんあるんですよね。

プレスの基本業務はリースと呼ばれるサンプルの貸出で、今より雑誌の数も多くて30分刻みで1日8組ほど応対してて、その時点でめちゃくちゃ忙しかったです。そのうえ当時オウンドメディアが立ち上がったのでその編集業務もあったり、シーズンカタログやタイアップ、自身の取材もあって毎日目まぐるしく時間がすぎてました。

――話を聞いているだけでも目が回りそう。プレスになりたかった理由の大きな1つとして、自身が取材をされて、媒体を通じて広めたい思いがありました。

野尻 雑誌の取材もたくさんいただいていました。見開きで紹介してくださったこともあって、本当にありがたかったですね。そのおかげで編集者さんやスタイリストさん、ライターさんなど、販売員ではなかなか知り合うのが難しい職業の方と知り合えたのは財産です。

私は対外活動も大事だと、いろいろなブランドの展示会やレセプションパーティにもよく顔を出していました。そこでコラボなどのお話をいただくこともあって。ぜひ実現させたいと動いても、社内では確実に売上が取れる企画じゃないと通らなくてトライできないことが多かったんです。

画像: 当時のプレスの仲間たちと。 出典:ftn

当時のプレスの仲間たちと。

出典:ftn

野尻 プレスは営業職と違って具体的な売上が数字で出せません。だから、たくさん雑誌に出演しても、新しい仕事の話を持ってきてもなかなか評価がされづらかったり。プレスとして会社のためにできることを考える中で、私個人で仕事を広げていけるんじゃないかと思い至ったんですね。そこでもっと外の世界を知りたい、と思うようになって30歳の時に会社を辞めました。

Photograph:川本史織
Senior Writer:津島千佳


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