
理想の母は実の母
私の母は、私にとって理想の母親そのものでした。
いつも家はきれいに片付き、家族の服にはきちんとアイロンをかけ、おやつは手作りが当たり前。
食卓には栄養を考えた料理が並び、子どもには規則正しい生活をさせる。
そんな母を見て育った私は、それが「母親として当然の姿」だと思い込んでいました。
そして自分が母になると、無意識のうちに同じようになろうとしていたのです。
完璧を目指した結果
何冊もレシピ本を読みあさって、毎日の食事は栄養バランスを考え抜いて時間をかけて作り、寝る前の絵本の読み聞かせも欠かしませんでした。
散らかっている部屋を見ると落ち着かず、常に「片付けないと、きれいにしておかないと」と必死。
そんなふうに何もかも頑張りすぎていました。
今思えば、あの頃は家族のために頑張っているはずなのに、全然幸せを感じられず、気持ちばかり張り詰めていた気がします。
「ちゃんとできないとダメな母親だ」と、勝手な目標に自分を追い込んでいたのです。
家族の意外な姿
転機になったのは、疲労が重なり私が体調を崩してしまった日のことです。
食事の用意もできず、仕事帰りの夫に何か買ってきてくれるように頼みました。
夫が買ってきたのはコンビニ弁当。
それを見て私は「子どもたちにも夫にも申し訳ない……」と思いましたが、子どもたちは「やったー! 今日はお祭りだね」と大喜び。
「え? 私の作った料理よりコンビニ弁当が嬉しいの?」と、正直少しショックでした。
でももっと胸に刺さったのは、その日の食卓の空気です。
夫と子どもは「おいしいね」と笑い合い、楽しそうに食事をしていました。
その様子を見ているうちに、私は料理の出来栄えばかり気にして、食卓を楽しむ余裕を失っていたのかもしれないと思いました。
体験者の声
なんだか急に力が抜けてしまい、その日を境に、私は「自分の母のように完璧な母親」を目指すのをやめました。
母と私は別の人間ですし、生きている時代も環境も違います。
手料理を頑張る日があってもいいし、疲れた日は外食やお惣菜に頼ってもいい。
そう思えるようになってから、家の中の空気がずいぶん柔らかくなりました。
おかしな話ですが、「母親はこうあるべき」という思い込みを手放してからのほうが、家族で笑って過ごせる時間が増えた気がします。
【体験者:30代・女性主婦、回答時期:2026年6月】
※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。


