筆者が子どもの頃、近所で高齢のおばあさんを介護していたお嫁さんがいました。当時は当たり前だと思っていたのですが今となると……?
画像: 「施設は可哀想」「嫁が介護して当然」過労で入院した嫁を見て「あらそう」親族の『残酷な決断』

近所の介護

子どもの頃、近所に高齢のおばあさんと暮らしている家庭がありました。
当時は介護保険制度もなく、今のようにデイサービスも身近ではありません。
おばあさんの身の回りの世話をしていたのは、同居しているお嫁さんでした。
食事の準備や洗濯だけではなく、昼夜を問わず付き添っている姿をよく見かけましたが、私はそれを特別なことだとは思っていなかったのです。

当然という空気

近所や親戚の人たちは、その家庭の話になると決まってこう言っていました。
「嫁なんだから介護するのは当たり前」
「施設に入れるなんて可哀想」
誰も疑問を口にしません。
私も子どもだったこともあり「そういうものなんだ」と受け止めていました。

けれど、お嫁さんの様子は少しずつ変わっていきました。
以前より顔色が優れず、疲れた様子でいることが増えていました。
それでも介護を休む様子はなく、いつ見ても忙しそうに動いていたのです。
話しかけても、ぼーっとしていることが多く、物忘れをしている場面も見かけるようになりました。
今思えば、かなり無理をしていたのだと思います。

突然の入院

そんなある日、お嫁さんが倒れて入院したという話が近所に広まりました。
昼夜を問わず介護を続けていたお嫁さんが倒れたのです。
すると、それまで
「家で見るのが当然」
「施設は可哀想」
と言われていたおばあさんは、ほどなくして施設へ入所することになったのです。

当時の私は「仕方がない」と思いました。
けれど今振り返ると、当時の言葉と現実のギャップが気になります。
お嫁さんが介護を担っている間は「当然」と言われていたのに、その役目を続けられなくなった途端、施設入所が選ばれたのです。

今だから思うこと

大人になった今、この出来事を思い出すたびに考えさせられます。
介護は本来、お嫁さん一人が背負うものではありません。
家族全員で支え方を考えるべき問題だったのだと思います。
当時は「嫁なんだから当然」という言葉が、ごく自然に受け入れられていました。
けれど、その当たり前の裏側では、誰か一人が無理を重ねていたのかもしれません。

昔は気づけませんでしたが、今なら分かります。
誰かを犠牲にすることで成り立つ介護ではなく、家族みんなで支え合う介護こそが大切なのだと感じています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年6月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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