今では信じられないような厳しさも、「当たり前」だった時代があります。
今回は、そんな昭和時代を生きた私の同僚・A子さんから聞いたエピソードです。
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給食の時間が苦痛だった子ども時代

子どもの頃の私は、学校給食の時間が苦手でした。「残さず食べる」が絶対という空気の中で、もともと体が小さく食も細かった私は、嫌いなものでも食べ切るまで席を立てず昼休みが終わっても一人だけ机に向かっていたことを、今でもはっきり覚えています。周りが掃除を始める中、泣きながら無理やり口に押し込んだ日のことは、胸の奥に残る苦い記憶です。

疑うことすらできなかった当時の常識

当時は、それが当たり前の教育だとされていました。先生も親も「好き嫌いはよくない」「食べ物を粗末にしてはいけない」と言い、疑問を持つ余地すらありませんでした。家でも同じように、残さず食べることを求められました。けれど今振り返ると、あの時間に私が学んだのは感謝の気持ちではなく、「食べることへの恐怖」だったように思います。

大人になって問い直した教育の意味

大人になった今、あれは本当に教育だったのだろうかと考えます。もちろん、食べ物を大切にすることや、苦手なものにも挑戦することは大事です。でも、それは誰かの心や体を追い詰めてまで教えるものではないはずです。教育とは、できないことを責めることではなく、その子の限界や個性を理解しながら少しずつ広げていくことではないか。あの頃の私は、「食べられない自分はダメなんだ」と思い込まされていた気がします。その思い込みは、大人になっても長く自分を縛るものでした。

わが子には無理強いしたくない

だからこそ、自分の娘や息子には違う形で向き合ってきました。お腹がいっぱいになったら無理に食べなくてもいい。その代わり、食後のデザートはなしにして、苦手なものは小さくていいから最低二口食べる。それがわが家のルールでした。完璧に食べ切ることよりも、自分の体の声を聞くこと、少しずつ挑戦することを大切にしたかったからです。あの頃の自分が欲しかった「わかってもらえる安心感」を、自分の子どもたちには渡してきたつもりです。大人になった娘も息子も食べることが大好きで、いつも帰省の際には美味しいものを買ってきてくれ、それが私の楽しみの一つになっています。

時代が違えば、当たり前も変わることを改めて感じました。あの頃、「厳しさこそ教育」と信じられていたことも、今振り返れば子どもの心や体に大きな負担を与えていたのかもしれません。大切なのは、過去を否定することではなく、そこから何を学び、次の世代にどうつないでいくかです。食べることが苦痛ではなく、安心や楽しさにつながるものになるように。A子さんの経験は、そんな「本当の教育とは何か」を問いかけているように感じます。

【体験者:60代・女性パート、回答時期:2026年6月】

※本記事は、執筆ライターが取材又は体験した実話です。取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:ichika.K
2児の育児を機に、ママの悲喜こもごもを描くライターとしての活動をスタート。子育てメディアなどの執筆を経て、独立し現在はltnでコラムを連載中。大手企業の総合職でのOL経験、そこから夫の単身赴任によりワンオペでの育児を行った経験から、育児と仕事を両立するママの参考になる情報を発信すべく、日々情報をリサーチ中。

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