筆者の話です。
少女時代、夕方に外出するには必ず父の許可が必要でした。
「報告しないといけない」と思っていた日々を、今振り返ると──それは父なりの「会話のきっかけ」だったのかもしれません。
画像: 外出には「父の許可」が必要だった少女時代 → 亡くなってから気づいた『父のやさしさ』とは

夕方の外出には「申請」が必要だった子ども時代

小さな頃の私は、夕方に出かける予定ができるたびに、父の機嫌を伺っていました。
お誕生会、花火大会、クリスマス会など。

「今週、子ども会の集まりがあるので行かせてください」
正座してお願いし「いいよ」と言われるまでの時間は、いつも心臓がドキドキ。
黙って出かけることだけは絶対に許されない、そんな家庭のルールがありました。

「報告しなければ」──社会人になっても抜けない習慣

その習慣は、大人になっても続きました。
会社の飲み会や出張の前には、つい父に報告してしまいます。

「会社の飲み会があります」「明日は出張で、泊まりです」
まるで学生のようですが、なぜかそれをしないと落ち着かない。
父は「うん」とうなずくか「気をつけて行けよ」と短く言うだけ。
けれど、その一言が妙に心に残りました。

気づいたのは、父がいなくなってから

父が亡くなってから、昔の情景をよく思い出すようになりました。

帰宅が深夜になると、足音を忍ばせて家に入ります。
父に遭遇しないように、そっとドアを開け門灯を消し、自室へ戻る。
母に「灯りを消しておいてね」と伝えても、帰宅していないことに気づいた父がまた点けるのだと聞きました。

そっとドアを開けたのに、いきなり目に入る父の姿に何度悲鳴を上げたことか。持病のため利尿剤を服用していた父は、夜中何度かお手洗いに行きます。
そのままリビングへ移動して、テレビを観るふりをして座り込んでいることもしばしば。
そっとドアを開けたのに、いきなり目に入る父の姿に何度悲鳴を堪えたことか。
早朝から仕事に出かけるのに、いつもより遅くまで起きていた父の姿が、今でも忘れられません。

不器用なやさしさが残したもの

厳しいだけの父だと思っていたけれど、本当は「心配性なやさしさ」の表れだったのかもしれません。
当時の私にとっては義務でしかなかったけれど、今思えばそれは父なりのコミュニケーション。
そして「いつ」「どこで」「だれと」がわかっているという安心感。

言葉少なだった父の「いいよ」の一言に、たくさんの思いが詰まっていた。そう感じます。
父は10年前に他界してしまい、もう聞いてくれる人はいないけれど、あの時間が今も私の中で生きています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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