自分が同じ立場に立った時、親への感謝の気持ちを噛み締めることはありませんか? 筆者は自分が「おばあちゃん」になったタイミングで、母のことを思い出さずにはいられませんでした。筆者のエピソードをご紹介させてください。
画像: 病弱な母。意識がなくなる前の“最期の言葉”は──高校を卒業する孫への『愛ある一言』に、グッときた

体が弱く頑固な母

私の母は体が弱く、若い頃から何度も大きな病気を患いました。
私の記憶には、すぐに寝込んでしまう母のイメージが染みついているほどです。

躾に厳しく、融通の利かなかった頑固な母。
それでも、孫が生まれると自分のことよりも孫が最優先でした。

自分の体調がすぐれないのに、私と妹の里帰り出産を喜んで受け入れて、最大限のサポートをしてくれるような人だったのです。

同居することに

孫たちはもちろんそんな『ばあば』が大好き!
週末にはいつも孫たちが実家に集合して、ワイワイとにぎやかに過ごしていました。

その後、父が他界し、私たち家族と同居することになった母。
母からお金の管理を任されていた私は、何度も母の言動に驚かされることになったのです。

金銭感覚に驚き

年金をもらっても、必要とするのは自分の医療費だけ。
「特に欲しい物はないから」と言って、孫たちの誕生日・入学・卒業などのお祝いを欠かさず、何かあると「私が出せるのなら」と、なけなしの貯金から孫たちをサポートしてくれていました。

そんなばあばの誕生日には、孫たちがいつも大好きなお花をプレゼント!
お小遣いを出し合ってプレゼントしてくれたお花を、大事そうに抱えていた母を思い出します。

最期の一言

そんな母も晩年は体調を崩し、入退院を繰り返しました。
感染対策の強化で、お見舞いもできない状態だった孫たちと話がしたいと、スマホの使い方を完璧に覚え、電話・動画を使いこなすようになりました。

その後、急激に状態が悪化。
意識がなくなる前の最期の言葉は、高校を卒業する孫2人に対して「卒業式行けなくてゴメンね」という一言でした。

きっかけ

母の他界からそろそろ10年。
私は母と同じ病を経験し、孫も2人生まれました。

私たち姉妹には厳しい母でしたが、孫のことを一番に考えて、孫たちにも愛された母のような『ばあば』になりたいと思っています。

お母さん、私も『ばあば』になったよ!

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:RIE.K
国文学科を卒業しOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄、多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。シングルマザーとして子どもを養うために、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。

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