筆者の話です。
子どもの頃、熱を出すと近所の母の友人宅に預けられていました。
「おばちゃん、リンゴすってください」とお願いするのが決まりごと。
あの優しさが、今も心に息づいています。
画像: 幼い頃、熱を出した私を預かってくれた【近所のおばちゃん】→「リンゴをすってください」と頼んだら

母が働く家庭の「預け先」

その頃、離婚して女手ひとつで子どもたちを育てていた母。
母は仕事を休めず、熱を出した幼い私は家でひとりになることもできませんでした。
そんなとき頼りにしていたのが、近所に住む母の友人。
母の代わりに面倒を見てくれるそのおばちゃんの家へ、私は小さなリンゴを1個抱えて向かいます。
「おばちゃん、リンゴすってください」
それが、幼い私の留守番のはじまりを告げる合図でした。

やさしい手元と声に癒やされて

台所でリンゴをすりおろすおばちゃんの手元を見つめていると、
シャリシャリという音と、甘い香りが部屋いっぱいに広がります。
「すぐ食べられるようにしてあげるね」
その言葉を聞くだけで、熱のつらさが少しやわらぐようでした。
おばちゃんの家は、まるで小さな保健室のように感じていました。
寂しくないようにと、母の幼少時代の失敗談をしてくれたり、どれだけ私が大切に思われているかを
話してくれたり。
そこに母がいなくても、おばちゃんとの話の中で母を思い、その背中を近くに感じた気がしたのです。

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