筆者の話です。
子どもの頃、熱を出すと近所の母の友人宅に預けられていました。
「おばちゃん、リンゴすってください」とお願いするのが決まりごと。
あの優しさが、今も心に息づいています。
画像: 幼い頃、熱を出した私を預かってくれた【近所のおばちゃん】→「リンゴをすってください」と頼んだら

母が働く家庭の「預け先」

その頃、離婚して女手ひとつで子どもたちを育てていた母。
母は仕事を休めず、熱を出した幼い私は家でひとりになることもできませんでした。
そんなとき頼りにしていたのが、近所に住む母の友人。
母の代わりに面倒を見てくれるそのおばちゃんの家へ、私は小さなリンゴを1個抱えて向かいます。
「おばちゃん、リンゴすってください」
それが、幼い私の留守番のはじまりを告げる合図でした。

やさしい手元と声に癒やされて

台所でリンゴをすりおろすおばちゃんの手元を見つめていると、
シャリシャリという音と、甘い香りが部屋いっぱいに広がります。
「すぐ食べられるようにしてあげるね」
その言葉を聞くだけで、熱のつらさが少しやわらぐようでした。
おばちゃんの家は、まるで小さな保健室のように感じていました。
寂しくないようにと、母の幼少時代の失敗談をしてくれたり、どれだけ私が大切に思われているかを
話してくれたり。
そこに母がいなくても、おばちゃんとの話の中で母を思い、その背中を近くに感じた気がしたのです。

思いがけない「日常のごほうび」

ある日、元気なときにもおばちゃんの家へ行くと、「あなた、リンゴが好きだから」と言って、
小さく切ったリンゴを分けてくれました。
熱がないのにリンゴをもらうのは、なんだか照れくさくて、うれしくて。
自分の家族以外に「好きなものを覚えていてくれているんだ」「私はここにも居場所があるんだ」という愛情を感じたのを覚えています。
おばちゃんの笑顔と甘いリンゴの味が、子どもながらに「安心」そのもののように思えました。

ご近所の優しさがつなぐ安心

困ったときに支えてくれる人がいたからこそ、母も安心して働けていたのだと思います。
あとから聞いた話ですが、母の代わりに私たちを預かってくれていたおばちゃんのことを、大叔母が羨ましく思っていたそうです。
「あなたが手助けしてくれるから、あの子(母)が私を頼らない」と愚痴をこぼしていたとか。
それほどまでに、周りが母を気にかけてくれていたのだと思うと、胸がじんわりとあたたかくなります。

あの頃の小さなつながりが、母と私をそっと支えてくれていたのだと思います。
誰かの優しさに守られていたこと──それが、私の中でずっと消えない記憶になっています。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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