筆者の話です。実家のある瀬戸内海の島では、親戚や知人にお願いしてみかんを送ってもらうのが当たり前でした。ところが、昨年からは誰にも頼めなくなり、自分で買うしかなくなったのです。心細さと感謝が入り混じった出来事でした。
画像: 実家は瀬戸内。『みかんはもらうもの』だった私 →「あぁ、もう頼めない」島が直面していた『寂しい現実』

島の実家から届く“当たり前のみかん”

私の実家は瀬戸内海に浮かぶ島で、地元では柑橘の産地として知られています。シーズン近くなると親戚や知人にお願いして、みかんを送ってもらうのが毎年の恒例でした。送付先リストを作成し、帰省して生産者に直接お願いする。友人からの「今年も届いたよ」「おいしかったよ」という声が届き始めると幸せな気持ちになりました。「傷みかんだけど」といただく事も多く、自宅に帰ってみかんを食べる度に、実家を思い出し幸せな気分になったのです。

頼める人が少しずつ減っていく現実

みかんを自分用に「買う」という発想はなく、毎年自然と目の前にあるものだと思っていました。ところが年月を重ねるうちに、入手する事が難しくなってきたのです。出荷をお願いできる人が少しずつ減っていき、気がつけば「今年はみかん食べていない」という年も出てくるほどでした。高齢になって栽培を縮小する人もいれば、農業そのものをやめてしまう人も。地元を離れているため、顔見知りも少なくなっていき、頼みづらさを感じながらもなんとか調達する事ができていました。

とうとう誰にも頼めなくなった

しかし昨年、ついにお願いできる人が誰もいなくなったのです。気づけば周囲の人たちもみな年を取り、もう以前のように畑仕事を続けられる状況ではありませんでした。仕方なく近所のスーパーで地元産を探し、買い物かごに入れた瞬間──「ああ、もう私は『送ってもらう側』ではいられないんだ」と実感しました。その小さな果実に、これまでの年月が一気に重なり、心にぽっかり穴が開いたようでした。

寂しさと感謝が交錯した出来事

口に入れば同じみかんのはずなのに、味わいはどこか違って感じられました。みかんそのものよりも、長年続いてきた「支え」が途切れてしまった事に心細さを覚えたからです。けれど同時に、当たり前のように届いていた事がどれほどありがたかったのかをかみしめました。お店でみかんを手にすると、心細さと感謝が交錯する出来事でした。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2025年10月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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