筆者の友人・Y代には4歳年下の妹がいます。姉妹仲は良かったのですが、母親に対する印象が全く異なっていました。一つ屋根の下で暮らした姉妹なのに、なぜこんなに違ったのか……母親が亡くなった後のエピソードをご紹介します。
画像: 母が怖かった。でも妹は「優しかった」→ 他界した母が残した日記には──綴られた『苦しみ』に涙

母の他界

私にとっての母は絶対的な存在で、小さい頃から厳しく躾けられていました。
対して妹は、母は優しくおっとりした人だと感じていたと言います。
子どもの頃は「私がお姉ちゃんだからかな?」と自分を納得させていたのですが、母の態度の違いに違和感があったのは事実でした。

母はとても体が弱く、病気がちで、私が高校生の時に他界。
葬儀が終了し、片付けをしていた時に母が書いた日記が見つかったのです。

エンディングノート

私が何の気なしに日付の新しい日記を見ると、そこにはエンディングノートのようにさまざまなことが書かれていました。
きっと自分があまり生きられないと悟った母が、死後に見てもらうことを前提として書いたのでしょう。

日記には母の本音が赤裸々に書かれていました。
家父長制の根強い地域で育った父との関係、男の子を産まなかったことでいじめられた義母との確執。
父親は次男でしたが、長男が若い頃に亡くなっていたため、後継ぎは父。
その子どもである私が女性だったため、今後どんなことが起きても困らないように、私には厳しく躾けたと書かれていました。

妹は結婚して家を出ることが可能性としては高いだろうから、義実家の犠牲になることはないけれど、私はもしかしたら跡取りとして縛り付けられてしまうかもしれない……。
そうなった時に、いろいろなことに立ち向かえるよう、女の子ではあるが世間知らずには育てられないと書かれていたのです。

母の本音

妹を呼び、2人で母の日記を読みました。

私が「私はお母さんが怖かったんだぁ。姉妹なのに、全く態度が違うことに悩んでいたんだよね」と言うと、妹は「この日記を見るとお母さんの本音がわかるね」と涙を流しました。

日記は父にも見てもらい、母がどれだけ苦しんでいたのかを分かってもらうことにも成功しました。

その後

その後、父方の実家との関係に悩まされることはありませんでしたが、年齢を重ねて私も今自分が親という立場になっています。

小さい頃から厳しく躾けられていたことが功を奏しているのかなと思えるようになってきました。
怖かったけれど……母には感謝しなければいけませんね。

【体験者:40代女性・会社員、回答時期:2025年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:RIE.K
国文学科を卒業しOLをしていたが、自営業の父親の病気をきっかけにトラック運転手に転職。仕事柄多くの「ちょっと訳あり」な人の人生談に触れる。その後、結婚・出産・離婚。シングルマザーとして子供を養うために、さまざまなパート・アルバイトの経験あり。多彩な人生経験から、あらゆる土地、職場で経験したビックリ&おもしろエピソードが多くあり、これまでの友人や知人、さらにその知り合いなどの声を集め、コラムにする専業ライターに至る。

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