厳格で近寄りがたいと思っていた筆者の父。その父が大切にしていた「親戚とのつながり」。亡くなった後、一人暮らしとなった母のもとへ親戚たちが様子を見にきてくれるようになり、「つながり」の大切さを実感しています。
画像: なぜか「暇つぶし」で親戚めぐりをしていた父。亡くなった日、弔問の言葉で気づいた『父の生き方』

父の休日の過ごし方

子どもの頃、休みの日になると父はよく自身の兄弟や叔父叔母の家を訪ねていました。
そこに特別な用事があるわけではありません。庭先で少し立ち話をしたり、家に上がってお茶を飲む程度でした。

父に尋ねたことがあります。「なぜ用もないのに行くの?」と。
答えは「顔を見に行くだけ」「暇つぶし」など素っ気ないもの。
そして「親戚は時々顔を合わせて、つながっておくものだ」と言うのです。
当時の私はその言葉の意味を十分に理解できず、「そんなものなのかな」と曖昧に受け止めていました。

理解できなかった父の思い

父の親戚めぐりは、定年を過ぎても続きました。
その頃には父の兄弟もだんだん高齢になり、ひとりで出かけることも難しくなってきていました。
そんな兄弟の体調を気遣い、様子を見に行っていたようです。

「暇つぶし」というのは照れ隠しで、早くに両親を亡くした父は、叔父叔母、兄弟の顔に、亡き両親の面影を見ていたのかもしれません。

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