これは筆者自身の体験です。
ある平日の朝、混み合った電車で出会ったベビーカーのお母さん。困っているように見えたので「助けなきゃ」と思わず行動しましたが、その親切は思いがけず裏目に。やんわり断られた出来事から、相手に寄り添う本当の親切について深く考えさせられたお話です。
画像: ベビーカーを押す女性を助けようとしたら【逆に困らせてしまった私】→ 女性の言葉に『反省したワケ』

混み合った電車で出会ったお母さん

ある平日の朝、少し混み合った電車に乗ったときのことです。私は扉の近くに立っていましたが、そこへベビーカーを押したお母さんが乗り込んできました。まだ小さな赤ちゃんがいて、ぐずりそうな様子。周囲の視線が少し冷たく感じられ、「助けなきゃ」と気持ちが焦りました。子育て経験はないのに「困っている人を見過ごすのはよくない」と思い込んでいたのです。

善意で動いたつもりが裏目に

次の駅で人がどっと降りた瞬間、私は勇気を出して「持ちましょうか?」と声をかけました。ところが反応を待つ前にベビーカーへ手を添えてしまい、お母さんは少し困った顔。「大丈夫です、今は自分で持ち上げたほうが楽なんです」とやんわり断られてしまいました。その一言に私は固まり、「なぜ受け取ってもらえないの?」と恥ずかしさが込み上げてきたのです。周囲の視線も気になり、顔から火が出そうでした。

救われた「お気持ちだけで十分」

しかしお母さんは続けて「お気持ちだけで十分です。本当にありがとうございます」と丁寧に頭を下げてくれました。その言葉にハッとしました。私は「助けてあげること」が正解だと信じ込んで行動していたけれど、相手にとってはむしろ負担や迷惑になることもある。善意が裏目に出るのは、相手の気持ちを考えず自分の判断だけで動いてしまうからだと痛感しました。

お母さんの軽やかな姿に学んだこと

その後、お母さんは慣れた様子でベビーカーを軽々と持ち上げ、スッと車内を移動していきました。私は穴があったら入りたい気持ちでいっぱいでしたが、「お気持ちだけで十分」という言葉に救われ、心が少し温かくなったのも事実です。

親切は相手の形でこそ意味がある

この出来事を通じて学んだのは「親切は相手が望む形で差し出さなければ意味がない」ということ。善意が報われるかどうかは自分ではなく相手が決めるもの。今後は焦って行動するのではなく、まず「お手伝いしましょうか?」と一言確認してから動こうと心に誓いました。

【体験者:40代・筆者、回答時期:2025年9月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:北田怜子
経理事務・営業事務・百貨店販売などを経て、現在はWEBライターとして活動中。出産をきっかけに「家事や育児と両立しながら、自宅でできる仕事を」と考え、ライターの道へ。自身の経験を活かしながら幅広く情報収集を行い、リアルで共感を呼ぶ記事執筆を心がけている。子育て・恋愛・美容を中心に、女性の毎日に寄り添う記事を多数執筆。複数のメディアや自身のSNSでも積極的に情報を発信している。

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