筆者の話です。
父はパチンコ好きで家計を圧迫し、家では暴君のように振る舞う人でした。
だからなのか弟は病気になった父を避け、私は出戻りの負い目から看病を担いました。
父の最期、弟が涙ながらに口にした後悔に触れ「どんな親でも、やはり親」だと気づいた出来事です。
画像: どんな親でも、やはり親。“暴君だった父”の最期に感じた【後悔しないための関わり方】

暴君だった父との距離

父は家族を困らせる存在でした。
パチンコでお金を使い、遊びに行くお金がないと家では機嫌が悪くなる。
そんな父の様子に家族は顔色をうかがい、大人になって独立した弟も距離を置いていました。

けれど父が病気になると、平日に時間を取りやすい私は病院へ通うのが日課になりました。
離婚してバツイチとなった私は【出戻りの負い目】もあって、看病を引き受けることに。
しかし、弟は母に言われてようやく病院をのぞく程度で、足を運ぶことはあまりありませんでした。

看病の日々で気づいた変化

入院中は毎朝新聞を病院に届け、退院後は通院の送り迎えをし、細々したことをこなす日々。
正直大変でしたが、なぜか苦ではありませんでした。

歳を重ねるにつれ、父はだんだん温和になり、会話も和やかなものに。
病室に顔を出すたび「今日はどうだろう」と気にする自分に気づきました。
暴君だった父に対して、そんな感情を抱くとは思いもしなかったのです。

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