筆者の話です。
父はパチンコ好きで家計を圧迫し、家では暴君のように振る舞う人でした。
だからなのか弟は病気になった父を避け、私は出戻りの負い目から看病を担いました。
父の最期、弟が涙ながらに口にした後悔に触れ「どんな親でも、やはり親」だと気づいた出来事です。
画像: どんな親でも、やはり親。“暴君だった父”の最期に感じた【後悔しないための関わり方】

暴君だった父との距離

父は家族を困らせる存在でした。
パチンコでお金を使い、遊びに行くお金がないと家では機嫌が悪くなる。
そんな父の様子に家族は顔色をうかがい、大人になって独立した弟も距離を置いていました。

けれど父が病気になると、平日に時間を取りやすい私は病院へ通うのが日課になりました。
離婚してバツイチとなった私は【出戻りの負い目】もあって、看病を引き受けることに。
しかし、弟は母に言われてようやく病院をのぞく程度で、足を運ぶことはあまりありませんでした。

看病の日々で気づいた変化

入院中は毎朝新聞を病院に届け、退院後は通院の送り迎えをし、細々したことをこなす日々。
正直大変でしたが、なぜか苦ではありませんでした。

歳を重ねるにつれ、父はだんだん温和になり、会話も和やかなものに。
病室に顔を出すたび「今日はどうだろう」と気にする自分に気づきました。
暴君だった父に対して、そんな感情を抱くとは思いもしなかったのです。

弟の後悔の涙

しかし容体が悪化し、父は亡くなりました。
弟にとっては、病院から呼び出されたその夜の急変。
「これから看病を頑張ろう」と思った矢先の出来事でした。

遺体を実家に連れて帰ったとき、弟が顔を覆って泣き出しました。

「今まで好き勝手してきた父だから、弱くなってから頼られてもと思う気持ちがあった。でも、こんなに早く亡くなるなんて……もっとちゃんとすればよかった」

その言葉は弟の後悔そのもの。
大人になってからあんなに泣く彼の姿を見たのは初めてで、その姿に胸が締めつけられました。

どんな親でも、やっぱり親

父は決して自慢できるような立派な人ではありませんでした。
けれど「どんな親でも、やはり親」
関われるうちに関わっておかないと、きっと後悔になる。
弟の涙を見て、あらためてそう感じたのです。
親との時間は限られている──その事実を忘れずにいたいと思います。

【体験者:50代女性・筆者、回答時期:2025年8月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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