「子どものためを思ってやってきたことが、実は間違っていた……」
そんなふうに感じた経験、ありませんか?
筆者の知人のA子もその1人です。
母として子育てに迷いながらも、ベストを尽くしてきたつもりでした。
ところが、息子たちが大人になってから語った「本音」に、深く後悔することになったのです。
画像: 母の懺悔「あの頃、少しでも許していれば 」ゲーム禁止が生んだ、成人息子の歪んだ欲望

「ゲームはダメ!」 その信念が生んだすれ違い

A子は、いわゆる教育熱心な母親でした。 
2人の息子には、なにより勉強を優先させる方針で、当時話題になっていたテレビゲームは「百害あって一利なし」。そんな考えから、家には一切ゲーム機を置かなかったのです。

「友だちが持ってるゲーム、うちでもやりたい」
そう言う息子たちに対しても、

「ダメよ。時間のムダ」ときっぱり拒否。代わりに知育ボードゲームやパズルを用意して、
「こっちのほうが頭にもいいし、面白いよ」と笑顔で勧めていました。

新しいゲーム機が次々と登場しても、A子の考えは変わることはありません。
彼女は本気で、「子どものため」と信じて疑わなかったのです。

親には見えなかった「心の孤独」

ところが、息子たちの心の中は違っていました。

友だちとの会話についていけず、疎外感を覚える日々。
「うちは買ってくれないから」と笑ってごまかすのが、いつしかあたり前に。

言葉には出さずとも、心の奥に寂しさと我慢が静かに積もっていったのです。

でも、A子はその気持ちに、気づくことができませんでした。

解き放たれた反動がもたらした現実

時が経ち、息子たちは大学生に。

自由な時間、自由なお金。そして、解き放たれたようにゲームにのめり込む日々。やがて、授業をサボりがちになり、ついに息子の1人が留年する結果に。

「だから言ったでしょ! ゲームはダメだって」
激しく叱りつけるA子に、息子はうつむいたまま力なく答えました。

「小さい頃、自分だけゲームを持ってなくて、すごく惨めで、寂しかったんだよ。」

「ボードゲームも本当はやりたかったわけじゃない。ただ、他に選べなかっただけ。」

その言葉に、A子はハッとしました。

「すべて子どものためだと思っていた。でもそれは私が正しいと思い込んでいただけだったのかもしれない。」

A子は、初めて、自分と子どもたちとの間にあった見えない「大きなズレ」に気づいたのです。

「正しさ」より「対話」が子育てのカギ

「お母さん、もっとあなたたちの話を聞けばよかった。ごめんね。」

そうつぶやいたA子の声は、小さく、でも心からのものでした。

もちろん、大学生になった息子たちが自分の選択に責任を持つのは当然のことです。

でも、もしA子がもう少しだけ、彼らの気持ちに寄り添っていれば。

今とは少し違う未来があったのかもしれません。

【体験者:40代・女性主婦、回答時期:2025年3月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

ltnライター:Yumeko.N
元大学職員のコラムニスト。専業主婦として家事と子育てに奮闘。その傍ら、ママ友や同僚からの聞き取り・紹介を中心にインタビューを行う。特に子育てに関する記事、教育機関での経験を通じた子供の成長に関わる親子・家庭環境のテーマを得意とし、同ジャンルのフィールドワークを通じて記事を執筆。

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